地理、水場、引越しなどについての日記


 
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この春、いま住んでいる東京から福岡へ引っ越す。もともと生まれ育った京都が愛憎ありつつも好きで、ミーハーだから東京も好きで、それ以外ではじめて住んでみたいと思えたのが福岡だった。
東京や大阪とは比べものにならないほどきれいな都心、外食産業の発達ぷり、海の身近さ。もっと直感的なところでは、建物が低く、空が広いのが嬉しかった。都心から地下鉄で11分のところに空港があるためだ。自分が生まれ育った京都も景観条例で建物が低かった。あの風景に慣れてしまったせいで、いまも空が狭いと落ち着かない。
 
 
京都にいたころ、冷泉家という貴族の屋敷で何年も働いていたから、福岡の街中に冷泉通りという街路を見つけたときは嬉しかった。大昔、福岡の沖で人魚が釣りあげられ、朝廷から冷泉中納言が派遣された話に由来しているらしい。
微かなつながりでも喜ばしい。近くに祀られた人魚の墓もいい。その通りに近づくたび、京都の公家を、逸話のなかの人魚を、この地と屋敷との奇妙な縁のことを考えた。
 
 
いまはスペースワールドのことを考えている。福岡県北九州市に存在した遊園地。訪れる機会がないまま閉園したその場所は、ずっと車窓の向こう側のものだった。電車が動き出すと、絶叫マシンのコースが派手な曲線として窓を横切っていく。あのアイコニックな図形が、「スペースワールド駅」というアナウンスが、いまも記憶のなかに封じ込められている。だが2018年元旦の閉園以降、徐々に解体が進んでいて、このあいだ通ったときには、曲がりくねったあのコースはばらばらに寸断されていた。
 
それでもあの「スペースワールド駅」という名前は残るだろう。学芸大学駅みたいに。珍しい名前の駅は毎度必ず反対にあうが、地理の裏付けさえあれば、味のある結果を生むはずだとつねづね思っている。数十年後、何もない場所にスペースワールド駅が佇んでいるといい。
 
 
2017年刊行の本で何より素晴らしかったのは、椹木野衣の『震美術論』だった。この本のおもしろさを書き連ねるときりがないが、そのひとつに、被災地の地理に関する記述がある。

東北大震災のあと、もちろん過去の震災の記録に関心が集まった。そこで注目を浴びたのが、三陸海岸に点在する石碑群であった。それまで古びた文化財としか考えられてこなかった石碑が、実際にはその地方で歴史的に繰り返されてきた大津波の到達地点を伝える、歴史的メディアであったことが浮き彫りになったのだ。

また、2014年に起きた広島の土砂災害においては、いちばん被害の大きかった地域が、もともと「八木蛇落地悪谷(やぎじょうらくじあしだに)」と呼ばれており、土地を売るために「八木上楽地芦谷」に変更された、という説が紹介されている。

こういうことを考えだすと、なんでもなかった地名が、石碑が、名字が、示唆的なものとして光を帯びる。なんならヨドバシへ行くだけで水場の記憶が流れ込んでくる(電波!)。かつて大規模な浄水場が立地した、未開発な新宿の記憶。普段は意識しなくとも、固有名詞の中に残った微かなイメージを感じながら生活していることをときどき思い出す。
 
 
1年住んだ江東区に思い入れがあるかといえばまだ分からない。ただ、「東京都江東区」につづく「海辺」という住所が好きだった。住所の響きで決めたようなものだった。海辺に帰ります、海辺の家に住んでいますと言うのは気分がよかった。ただ、じっさいに海の気配はなくとも低地で、水害のことが頭からはなれなかった。悪夢にはよく水が流れ込んできた。
 
生活圏が2階までに限られていたから、寝るまえにはいつも悲観的な災害予測を──4階の高さまで水に浸かるという試算を──思い出した。タワマンに住んでいる人間だけが生き残るディストピアを想像してときどき冗談を言った。次に住むのは水害とは無縁の土地だから、水の夢にとらわれることもなくなるだろう。
 
江東区に住んでいる友達はひとりしかいなかった。タワマンの13階に住んでいたから水没の心配はないはずだが、断水工事のさい、蛇口をひねったままにしていたせいで部屋を水浸しにした。本当の話。本当に気の毒。
 
 
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2/2
 
渋谷で久しぶりに朝まで飲み明かし、うとうと始発に揺られている。最寄駅につく。改札をでて、海辺の自宅へと歩く。とちゅうで橋にさしかかると、横から強烈な朝日が射してくる。みごとな朝焼け。思わず足を止め、しみじみ朝日と川を見る。ほんの数十分まえ目にした、渋谷メルトダウンとの振り幅を思えば自然に笑いがでてくる。喫煙者じゃないからわからないけど、こういうときにたばこを吸うと気持ちいいんだろうな。
しかし、川の上流をぼんやりながめているうちに、自分の知っている朝日と何かが違うことに気づき、だんだんと困惑しはじめる。ちょっと気持ち悪い。方角がおかしい。
 
 
京都にいたころ、毎年大晦日に友達と集まり、クラブや飲み屋をはしごしながら初日の出を待つ恒例行事があった。そのとき、朝日は川の向こうからのぼるものだった。京都の市街地は基本的に川沿いに位置しており、朝まで遊ぶといったらまず河原町、文字通り河原に広がる町しかない(京都METROもあるけど)。だから、夜遊びのラストシーンはおのずと決まっていた。

朝がくる。川の向こう側から朝日がのぼる。だが自分たちがたむろするこちら側はまだ暗い。京阪に乗るため、橋の向こう側へ、明るい方へと歩いていく。友達と別れる。京阪の出口から橋を振り返ると、さっきまでいた場所が明るくなっている……。
つまり京都の朝日は川の対岸から、江東区海辺の朝日は川の根元からあらわれる。
 
 
地理に由来した感覚をおもしろいと感じる。たとえば渋谷では、疲れているときに歩き回ると、どんどんと駅の方へ吸い寄せられてしまう。地形がすり鉢状で、その底に駅が横たわっているから。神戸では、北↔︎南ではなく山側↔︎海側というインフォグラフィを見かける。だから、坂を下ると海に行きつくという生理的な感覚が神戸の人たちには染みついている。
 
碁盤の目が張られた京都では皆、x軸とy軸のグリッドで場所を把握しているが、東京の人びとは、出発駅と、つり革につかまっている時間の極座標で場所を認識している。だから道案内のときに北とか南とか言ってもほとんど通じない。
 

ある場所では坂をくだると駅に吸い込まれる、別の場所では海へ行きつく。ある場所はグリッド上に、別の場所は極座標上にある。ある朝日は上流から、別の朝日は川の向こうからのぼってくる。
川の方向が南北か、東西か、それだけのことで、太陽が対岸からあらわれるのか、上流からあらわれるのかが宿命づけられていて、どんなに何気ない川でも、タイミングが味方すればびっくりするような美観を隠していることに思い至る。そういえば、濱口竜介の『親密さ』は、この秘めたる美観を生かした映画だったな、と思い出す。
 
 
朝日についての違和感がとけたところで、また家へと歩きだす。牛乳を買いに寄る。もう引っ越しまで間がないから、最近は移動のコストに見合わないものや、保存の利かないものを少しずつ捨てている。スーパーに来る回数も減った。
今まで、まわりのパックにまぎれて賞味期限が早い牛乳を見かけるたびに、「誰がこんなもの買うんだろう」と感じていたが、ふと思う。去り際の人が買うのかもしれない。はじめて古いパックを買う。4月にはもうここにいない。
 

二十一世紀に音楽を聴くということ

 

 

クレヨンしんちゃんを見ていたら、しんのすけたち園児組が、不良っぽい年上に絡まれるシーンが流れてきた。園児たちが冷や汗をかくなか、しんのすけが「ねえ、おにいさんたち…」と、オネエ口調の冗談でからかい、なんだこいつ、と逆に不良の方がどぎまぎする。

このくだりに、テレビの前の自分はほとほと感心してしまった。学校で、路上で、職場で、ベッドルームで、背後の力関係を効かせた誰かが理不尽を強いる。普通はうつむいて従う、せいぜい逃げ出す、くらいしかないのだが、そういう抑圧を一瞬で相対化する技がこの世には存在するのだ。

 大事なのは、しんのすけが力で対抗しなかったということだ。力ではないとしたら、何だったのか?ここではユーモアである。

 

 

ゲットー・ブラスターという言葉をご存知だろうか。名詞としては、黒人が担いで歩くでっかいラジカセのことなのだが、その意味は、ゲットーで爆音の音楽を流すところにある。

場はパーティーのムードに包まれ、そこでは、暴力で人を支配しようなんてあくどいやつは退散してしまう。そして、その行為を通じて、最終的には暴力のうずまくゲットーをなくそうという意図も含まれる、という大変クールな話である(ここまで菊地成孔の受け売り)。

 想像してみてほしい。楽しく人が揺れている場で、やれドラッグだ、借金の返済だ、と誰かをどやしつけている人間は、たとえその場で一番強い力を持っていようと、周りからまったく無粋な人間として扱われるに違いない。往々にして脅す方が声をひそめるのは、力による制裁を恐れるからではない。自分の名誉に関わる非難を恐れるからだ。

 

立ち戻ってみると、しんのすけが不良を困惑させたユーモアは、その場ででっかいラジカセから音楽を流し、踊ってみせる行為にも置きかえられたはずだ。

ふたつの行為に共通する、大切な点は以下、

 

( i ) 力で従わせないこと(従わないこと)。
( ii )別のやり方を示すこと。

 

 

 

今年観た中で最も心動かされた映画、そして人生の一本となった映画に、エミール・クストリッツァの『アンダーグラウンド』がある。紛争の果てに今や失われてしまった国、ユーゴスラビアを舞台にした、どんちゃん騒ぎの映画である。戦争、ギャング、花嫁、不死身の将校、地下世界、動物園…とにかくいろいろなものが登場するこの映画については、話し出すとキリがない。だが、その中で素晴らしい点をひとつだけ挙げるなら、結婚式や葬式はもちろん、戦時中や強盗の現場、たとえあの世だろうと、しぶとく演奏し続けるブラス楽団が現れるところだ。作中では楽団の演奏とともに、こんな字幕が浮かび上がる。

 


苦痛と悲しみと、そして喜びなしには、
子供たちにこう語り伝えられない

"昔、ある所に国があった" と──

 


楽団の彼らはよろめきながら、逃げ回りながら、時には脅されながら、決死の演奏を試みる。それは、暴力によって消滅してしまったその国に、今や記憶の中だけに封じ込められてしまったその国に、暴力以外の営みがちゃんと存在したことを、語りつがなくてはいけないからだ。人間の様々な生のあり方を否定させないためだ。耳に入ってくるのは、勇壮で明るい演奏である。だが観客は、その音色がとてつもなく悲しい響きを持つことも知っている。

本当のところ、(音ではなく)音楽を聴くというのは、ただただこの音色の反転を聴き逃さないことを意味するのだ。

 


 


二十世紀には、音楽の鳴る場がテロの標的に選ばれることはなかった。暴力にふさわしくない場だという暗黙の了解が会場を包んでいたのだ。しかし二十一世紀に入り、事態は一変してしまった。ここ二年だけでもあまりに悲惨なことが起きている。

去年、フロリダの銃乱射では、バスドラムのリズムに合わせて、面白半分でナイトクラブのゲイたちが撃ち殺された。今年の五月、アリアナ・グランデのライブ会場で起きたのは、わざと子供を狙った自爆テロだった。最も幼い犠牲者は八歳の女の子で、一見奇妙なことだが、事件後には"行方不明者の捜索"が行われた。直後、アリアナ・グランデツイッターでこのように発信した。

「打ちひしがれました、心の奥底から。途方もない悲しみで、言葉が見つかりません。」

無論、次の出演はキャンセルとなり、以後の公演については、まだ考えることすらできない状態だと報道された。

 

 

  

( i ) 力で従わせないこと(従わないこと)。
( ii )別のやり方を示すこと。

 

 

 

 

二週間後、アリアナ・グランデは、マンチェスターに舞い戻った。惨事が起きたその地で、チャリティーライブを開催するためである。記事をそのまま引用しようーー

 

"20時近く(現地時間)にアリアナのマネージャーのスクーター・ブラウンが登場。スクーターは22日の事件で負傷した15歳の少年を見舞った際に託された「怒りに突き進まないで、愛を広めて」というメッセージを伝えると、ロンドンの事件発生翌日のコンサートに参加したすべての人々の決意に感謝を述べ、「恐怖は私たちを分断しません。なぜなら今日、私たちはマンチェスターのために立ち上がったからです」と語りかけた。ここでアリアナがステージに姿を現し、観客から大きな喝采で迎えられた。"

http://www.cinemacafe.net/article/2017/06/05/49957.html

 

 

並外れた宣誓である。人道的で愛に満ちているが、同時に荒唐無稽な響きもある。はたして綺麗事だろうか?仮にそういう向きがあっても不思議はないのだが、彼女の決意を前にして、自分は思わず言葉を失ってしまった。

ここで言いたいのは、アリアナ・グランデはまさに、暴力に従うことなく立ち向かったということだ。暴力とは別のやり方で。

 

* 

 

嬉しいことに、アリアナ・グランデの振る舞いと共鳴する思想が、日本にも根付いている。耳にしたことがある人も多いはずだ。

 

 

"とにかくパーティーを続けよう"

 

 

五年ほど前、風営法の改正が強く求められていたこの国で、何度も何度も聞いたフレーズである。『今夜はブギー・バック』の一節であり、切実な願いでもある。特に今のような時代においては。

なぜパーティーを続けるのか?それはアリアナ・グランデがはっきりそう示したように、パーティーが古来から連綿と続く「別のやり方」だからだ。彼女がパーティーをいったんやめざるをえなかったのはテロのためだが、日本の場合は、ディスコ帰りの中学生が刺殺された事件の残響によってである。どちらも暴力を前にして一度はパーティーが解散され、多くの人々の努力によって取り戻された。

 

 

音楽に代表される、文化(や芸術)は不道徳で自堕落、教育上よくないものばかりだが、なぜか一定の教育的価値があると信じられている。本当にそんな価値があると考えてみるならば、それはまさしく、暴力に対して別のやり方を示すというものだ。

文化が教えてくれる最良のことは、北風ではなく太陽として生きる術である。一冊の本、漫画、一枚のレコード、絵画、映画…なんなら落語の話ひとつでも、地図帳でもいいけども、それらを通過するたびに、誰もが少しずつこのことを教わるはずだ。アリアナ・グランデのファンは少なくともそうだった。これを書いている自分も、その命脈の端に連なっているつもりだ。

 

他にもいろいろな言い方がある。オノヨーコはきっと同じ意味で 「戦争より愛を」と言った。実際に彼女が何を意図していたのか、他に誰がどんなことを言ったか、多くを知っているわけではない。けれどもそれらは根底で似通っていて、少しバージョンが違うに過ぎない。そして、それを解さない人間は、どれだけ音楽好きを自称しようがモグリと見なされる。

ジョニー・マーが当時のデヴィッド・キャメロン英国首相に、「スミス好きを名乗るのをやめろ、スミス好きを禁止する」と言ったのも、ストーンズドナルド・トランプに楽曲の使用中止を求めたのも、相手がモグリだと感知していたからである。

 

 

ここまで書いてきた文章は、ある言い方で「戦争より愛」として現れるメッセージを、「北風ではなく太陽であること」や、「別のやり方を示すこと」などと翻訳しながら、自分なりに長々と言い換えてきたようなものだ。

マンチェスターに戻ったアリアナ・グランデが、ステージ上で"Love"と書かれたTシャツを着ていたのは、もちろん偶然ではない。言い換えにはいろいろなバージョンがあり、野原しんのすけ菊地成孔、アリアナ、スチャダラパーなど、実はいくつものバージョンを紹介してきたのだが、小沢健二のバージョンもある。彼も昔は素晴らしい詞を書いた。最後に、"天使たちのシーン"から歌詞を引用して、この雑記を終わる。

 


"神様を 信じる強さを僕に 生きることを あきらめてしまわぬように
にぎやかな場所で かかりつづける音楽に 僕はずっと耳を傾けている
耳を傾けている 耳を傾けている"

 

 


今年の自分は、また性懲りもなく時間を割いて、本を読み、映画を観にゆき、そして何より、にぎやかな場所でかかり続ける音楽に耳を傾けていた。同じような暮らしをする世界中の誰かと同じように、「これが一体何になるっていうんだ?」と思わされることもしょっちゅうだ。

それでも、自分のような人間がやめずに今日まで続けてきたのは、ちゃんと理由がある。それは、そうして耳を傾けることが、一番小さな規模でパーティーを続ける方法だと、心のどこかで信じてやまないからだ。

  

 

 

 

 

パターソン感想

 

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ジム・ジャームッシュによる、ある詩人の一週間を描いた作品。共に暮らす妻はチャーミングで、ブルドッグのマーヴィンは視界に入るだけで思わず微笑んでしまう愛らしさである。詩の素晴らしさ、最後の永瀬正敏のシーンのひどさ*1などいろいろと見所のある映画なのだが、「何も起こらない」「筋がない」「日常の話」という前評判で観たらけっこうな違和感を感じたので、そのことについて書いておきたい。

まず、かなり構成的な上、ちょっとあざといやり方で観客に気を持たせるので、「筋がない」という評は当たらない。

 

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この映画では、毎日同じ路線を巡るバス運転手の視点を通して、実は少しずつズレた街を描いていく。主人公は仕事の合間に書く詩を密かな楽しみとしているのだが、妻から、発表はしないのか、せめて詩のコピーを取らないか、と説得される。主人公は渋るが、妻の押しに最後は根負けして、コピーを約束する──この時点で、作品に週末という期限が定まるとともに、不吉な陰影が彫り込まれることになる。複製を作ることができない/複製によって何か重要なものが変質してしまう、などの結末を観客は想像し、そのあとの一週間をかけて、複製、交換、双子、などのモチーフに触れながら、積み重ねた一日一日が層を成してゆく。そういえば、週は人間が時間の移ろいに刻んだ韻で、双子は遺伝子の押韻である。

 

こんな風に書くと伝わると思うが、構成が明確な上に、隠喩が点々と配置された作品で、観終わった観客にはそれらしいヒントがいくつも残される。以前にもちらっと書いた*2のだが、私はこういう作品の呼び寄せやすい読解が、というか、単純なコードに反応するだけのメタファー探偵のような評論を怪しく思っている。

それは例えば、「円環」「直線」「十字」「入れ替わり」等々を巡って延々考察する映画評のことだが、線のない映画も、入れ替わりを見出せない映画も存在しない。上映のあいだずっと円環、直線といった小規模なモチーフ探しに意識を割くのは、手間はかかっても、その気さえあれば一番誰にでもできる見方ではなかろうか。

 

何にせよ、ミニマルで単線的な物語において、このように構成的なところがくっきり示されれば、どうにもあざとく映るということを指摘したい。観ていると、まるで自分が点々と置かれたパンくずを追う小鳥になったような気がして、窮屈に感じてしまう。そういう点では少し物足りなかったが、映画の見どころは他にある。

 

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パターソンの一番のフックは、主人公の書く詩にある。挿入される詩がどれも上質で、それぞれが、交換不可能な存在について、名付けてしまったせいで素通りするようになった現象について、生活の代謝について、驚くほどの巧みさで表現している。何より、画面に一行ずつ現れる文章を追うというスタイルが、詩を味わう上で素晴らしい。あんな風に詩を生き生きと楽しんだのはいつぶりだろう(詩の朗読会へ行く人は、こういう感覚を求めているのだろうか)、という感想が来るのと同時に、翻って普段の自分の読書についても考えることになった。

 

劇中では、一行の詩が余裕を持ってゆっくりと現れるからこそ映えるのだが、現実の読書で、一行にあれだけの時間を使うことはめずらしい。普通私たちは、素早く全体を見渡し、要点を整理し、理解に勤めようとする。学校でそうしてきたように。子供のころから情報処理や分析を目的に活字を追っていると、読むスピードは自然に速くなるが、情報として全ての行に目を通すことと、そこに込められた詩情を味わうことには当然大きな差がある。

素早く目を通すこと、情報を処理すること──『パターソン』では、効率や、社会の要請に応じたやり方で詩に接したとき、取りこぼしてしまうものを拾い上げていく。観終わってぼんやりと考える中で、ポエジーがスピードによって遠ざかる(!)、という、当たり前のようで切実な問題に胸を衝かれていた。

 

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映画の中盤までは、誰もがiPhoneを持つ場所で、主人公にだけ持たせないのは作者の不実ではないか、というぼやきが頭に浮かんでいた*3が、作中で一日が過ぎるうちにその感覚は更新された。主人公のパターソンは、効率や複製、ひいては現代的な合理に覆われる前のポエジーを(あるいはアウラを)採掘する存在であり、決して複製芸術*4的なものに手を貸してはならないのだ。彼はその日あった特別な出来事を妻に伝えるとき、iPhoneのシャッターを切ったり、カメラロールを覗き込ませたりはしない。詩として書き、家に帰って時々聞かせてやるだけだ。映画の終盤、予告された週末にブルドッグのマーヴィンがしたことは、*5主人公の、ひいては夫婦の救済だったと言える。

 

そういえばこの映画は、和やかな目覚めのシーンで始まったのだ。朝日の差すベッドで、寝ぼけた妻ローラ(auraにエルを足したLauraという名前…)が夫に話しかける、「私たち、夢の中で双子の子供がいたのよ」。そして、不穏にもこう続く。


私たち2人に1人ずつ。

 

 

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速い方が、効率の優れた方が、同じ轍を踏まない方が、替えのある方が良いーー『パターソン』は、あらゆるスピードによって、合理によって、学習によって、目の前の事象を0と1の羅列に変換しようとする力によって、隠されてしまったポエジーを掘り起こす作品である。つまり、詩を扱った作品ならではの鋭利さを持っているということだが、注意しなければ、その鋭さすら見落としてしまう。なぜならこれは、「何も起こらない日常の素晴らしさを描いた話」と簡単に合点してしまった途端、霧となって消えゆくものについての映画なのだから。

 

 

 

*1:「(確率の問題として考えれば、こんな奇遇な事件に恵まれる1週間は稀だけど)こんなことも起こるだろうな」という映画の中のリアリティにずっと馴染んだ状態で観ていたのに、最後に出てくる永瀬正敏が、英語の発音から鞄のかけ方まで強烈に自分のよく知る日本的な現実感でもって差し込まれて、こんなことは起こらないよ、と耳元で言われたかのように我に返ってしまった。

*2:ヒップホップ警察を追い返せ!!と、この時代のスノビズムについて - 屋上より

*3:ただの一般論で、年老いた作者が登場人物をSNSスマホに近づけず、往年のやり方でドラマを書くのは怠慢だ、という意味。

*4:人文書を読む人なら、この作品を観たとき脳裏に『複製技術時代の芸術』がちらつくのではないだろうか。この記事では詩と絡めてポエジーと言っているけども、ベンヤミンが言うところのアウラと重なる部分も大きい。

*5:ちなみにその裏で主人公夫妻がしていたことと言えば、「久しくしていなかった映画(複製芸術)観賞」である。

日記・雑記(2) 選べなかったものを選びなおすことについて

有楽町で中学の同級生と飲んだ帰り、書店を探してあの辺りをふらふらと歩いていた。Googleによると、付近で21時以降も営業しているのは銀座の蔦屋書店だけとのことで、千代田区中央区の境目はこの辺か?などと考えながら、まだまだ活気のある夜の街を通り抜けて銀座シックスへと向かった。

数分後、銀座シックスへ着いたはいいが、代官山のように路面店でない銀座店は視認できず、ビル全体は消灯済で真っ暗。特に目印もなく、この巨大な直方体のどこから中に入ればいいのかと困惑していた。歩き回って見つけたエレベーターの中にすら蔦屋の文字はなく、6F Booksと小さく書かれているだけだった(たしか)。それでも、エレベーターの扉が開くときらびやかな店内が広がっていて、秘境を訪れたかのような、奇妙な感覚に包まれる。

 

ドトール(コーヒー220円)で作業するということは、ボロ着で体臭のきつい謎のジジイや、隣でぶつぶつとクロスワードパズルを始める謎のジジイに遭遇するリスクを冒すということで、そういう謎のジジイに降参したときは、上島珈琲(コーヒー400円)や純喫茶に移動するのだが、銀座の一等地に立つこの書店は、高貴な喫茶店よろしく広告やデザインの工夫で密かなゾーニングを施して、「謎のジジイ的な何か」を排しているのかも…それとも昼は普通に入れるのかも…などと酔った頭で考えながら、目当ての本を探して棚を見て回った。ブックオフみたいに、椅子で眠り込んでいる人や、閉店まで立ち読みをしている人は見当たらなかった。

 

目的地に辿り着いて機嫌をよくしたので、さっきまで一緒にいたやつと共通の友人に電話をかけた。もしもし、今まで岸田と飲んでたよ、元気してる?の挨拶もそこそこに、今自分の居る本屋がいかに外から分かりづらい場所にあったかを説明した。電話口の女の子は、その話を、
「ああ、偶然入れない場所ってことか」
と要約した。その時不意に、今までの自分の人生で、偶然には辿り着けなかった場所や知りえなかった人、それとは反対に、偶然にしか知り合えなかった人たちのことが頭をよぎった。今電話口にいるこの子も、さっきまで一緒にいたあいつも、中学や高校というあの時分を過ぎれば、二度と交わらない人生だったろうと思った。

 

レジで会計を終えた。突然だったのにありがとう、おやすみなさいと電話を切った。切った途端、自分こそが酔って電話しながら本棚の間を歩く謎のジジイだったことを自覚して笑った。そして、エレベーターの前で待ちながら、この扉の向こうには、今まで自分が通り抜けてきた扉が全部、ずらっと一列に並んでいる…という荒唐無稽な想像にとらわれていた。その中には「偶然には通れなかった扉」「偶然にしか通れなかった扉」がどちらもたくさんあるはずだった。清濁併せ飲むとは、このふたつの扉を往き来することだと謎の合点をした。行きと同じようにひとりでエレベーターを通過した。これで帰りに残された扉は東京メトロと自宅だけになった。

 

帰路の半蔵門線で、自分はなぜ「成人式行かなかった」と高く掲げるみたいにtwitterで言う人種が嫌いなんだろ、地方に生まれた文化オタクの特徴ってなんだろ、などとぼんやり考えた。地方に生まれるのはいろんな意味で非効率だけど、何年かかけて、効率の観点からは取り戻せない何かを負うのも悪くない、と考えるようになった。この手の葛藤は、当人にとって結論が決まっているので、何年かかるかの話でしかない。そのあとは地元のことが頭に浮かんだ。土建屋の息子だったのが、父親の死をきっかけに会社を売り払い、今はイスラエルでフリーターをしているという、変てこな経歴を持つ小学生以来の親友を思い出した。SNSを活発にやるわけではない、音楽や映画の趣味が合うわけでもない。家が歩いて5分のところになかったら、そいつとはすれ違う機会すらなかったし、イスラエルレバノンの奇妙な入国審査や、イスラム教徒とユダヤ教徒が恋する現場のことを知ることもなかった。

 

地元を離れた結果、「先週トリアーの映画観たんだけどさ」「宮本輝の選評やばいんだけどさ」などと、その時々で興味のある映画や本のことを話し始めても、あっさりそれを受け入れてくれる人たちとばかり遊ぶようになった。気楽になった部分は大きいけど、時折、自分がもう今いる場所にしかフィットしないんじゃないか、二度と戻れないほど偏った人間になってしまったんじゃないか、という不安に襲われる。就職や結婚が関わってくると特に、「わかる人だけわかってくれればいい」というスタンスが通じなくなり、会社の人や自分の母親は「わかってくれる人」ではないという当たり前のところを無視できなくなる。自分の選んだものだけでも、選べなかったものだけでもやっていられないから、自分で自分の人生に補助線を引く。それは結局、背後に延々と続く扉を振り返るということであって、「久しぶり、元気してる?」と誰かにメッセージを送るとき、人は自分がかつて選べなかった何かを選び直しているのではないかと思った。

昔を語るということと、20センチュリーウーマンの感想

 

  休みの日に保坂和志のエッセイを読んでいたら、ギリシア悲劇エウリピデスの話が出てきた。話題に上るのは『トロイアの女』なのだが、面白いのは、ギリシア軍に破壊し尽くされたトロイアの街で、トロイアの女王ヘカベがこんな台詞を吐くところだ。

 

「しかしまた、神様が、これほどまで根こそぎに、トロイアを滅ぼされることがなかったら、わたしらは名も知られず、後の世の人に歌いつがれることもなかったであろうし……。」

 

これは時制の上で突出した印象を与える。崩壊したトロイアにあって、その悲劇が語り継がれた未来から話をしているからだ。『トロイアの女』を観ていた客が、あるいは脚本の読み手が、それまで物語に没入していたとしたら、この発言につき当たって誰しもこう思うはずだーーーー未来からの視点で語るお前は、いったい何者なんだ、と。

 

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かなり遠いところから話を始めてしまったけど、この日記で話題にしたいのは一本の映画である。『 20センチュリーウーマン(原題:20th Century Women)*1』は、1979年のサンタバーバラ*2が舞台の映画だ。中学生の主人公が、母親や女友達、同じアパートに住む住人たちとの関わりを通じて成長する様子が描かれる。

観ていて面白いと同時に不可解だったのは、「1979年ーー時代はパンク全盛だった」という風なナレーションとともに映し出されるのが、主人公が向かったライブハウスではなく、数秒ごとに切り替わる当時の写真だったこと。困惑しながら、「ちゃんとライブの映像を撮れよ…さぼるなよ…」と思っていたけど、観終わってしばらく経った今だと、あれは歴史に対してある意味で誠実な距離の取り方だったのではないかという気がしてきた。この映画には、渦中の人間を撮りながらも、常にそれをどこかへ位置付けるような視点がある。

 

映画で一番大きく描かれる人間関係は母親との関わりだが、その親子関係にしても、映画の終わりごろに現れる決定的な会話、

「父さんと愛し合ってた?」

 

「うーん、と言うよりは、『愛し合うべきだ』と思ってた。誰かと愛し合うことがないまま一生を終えるのが怖くて、そのとき最善の選択をしたの」

が挿入され、主人公は「今までと違って、これから母さんは自分に本心を話してくれるようになるだろう」という予感を得る。だがそれに続いて、その予感は裏切られた、というナレーションが入る。

ヒロイン(エルファニング)についても同じだ。主人公の幼なじみは、セックスするでもないのに毎晩主人公の部屋に忍び込む。家族ぐるみの付き合いがあり、主人公にとってはずっと昔から最愛の、だが振り向いてはくれない女の子である。スクリーンの中では最重要人物の彼女だが、最後の最後に入るナレーションで、大学進学を機に主人公一家とは疎遠になってしまい、のちに夫とフランスに住んだという未来が語られる。

つまり、この映画の中で、時代を語る場面を担うのは写真であり、物語に決定的な線引きを与えるのは「未来からのナレーション」なのだ。

 

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パンクのムーブメントも、自分にとっての運命の相手も、母と分かり合えたというたしかな手応えも、スクリーンに映し出される限りでは画面の中の事件が全てだけれど、それは実のところ何本もの人生が重なったある一点をぎゅっと拡大したもので、ズームを解けばそれぞれの線は全く別の行き先へ伸びていく。おそらく誰もが経験するように、これが全てだと思えた確かなものは、例外的な時代の例外的な場所で、掠めただけの関係だ。

時代とともに生きる、時代を語る、という行為にはうまく言い難いところがたくさんある。バブルを共に経験した両親と話していても、「どれだけお金を使ってもなくならなかった、タクシーだけで月20万使っていた」と話す父と、「そんなことは全くなかった、今と一緒」と話す公務員の母では、ほぼ同じ場所で同じ空気を吸っていた2人とは思えないくらいの乖離がある。時代の空気というのは、確かにそこにあった気がするのに、2人以上に語らせれば真相は藪の中になってしまうような在り方をしていたり、事後的に生成する可能性や幻想だったりで、そのどれもが簡単には否定できない断片だ。

トロイアの女王や、『20センチュリーウーマン』に登場する人物たちと違って、ふつう人間というものは、自分の身を取り巻いて今まさに起こりつつあることについて、いったい何が決定的なのか、判断がつかないようにできている。だから裁定をつけるのはいつも何かが起こったそのあとで、それはまさしく未来からのナレーションになる。大抵の人は、小銭が落ちていないか気にするように、未来の自分が助言してくれないかと思っているけど、人間がナレーションの聞き手になれないのはもちろん、私たちは必ず、過去へとナレーションを送る側に立っている。そしてそのことは、ぞっとするほどに考えないまま生きている。

そして、とても大事なことだが、『20センチュリーウーマン』はマイク・ミルズの「自伝的」映画である。

 

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この映画にはパンクもあれば、カーターの演説も、20世紀初頭からの女性の社会進出もある。それと重なり合う形で、アートクソ野郎と呼ばれること、愛し合うの難しさや、女の子との逃避行、子供を持つことの恐怖も描かれる。そういう大文字の歴史と個人史を二重うつしにした状態で、ズームのつまみを回し、ピントをずらすーーーこの映画は、急に視界がぼやけていくあの瞬間の、酩酊や悲哀をつかまえようとしている。

 

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映画のアイコンになっているのは、トレーラーで流れていて、作中でも最高な使われ方をするこの曲。優しくてリラックスしているけど、ほんの少し不安なフィーリング。笑いながらはにかんでいるような不確かな感覚。こういう繊細な感情を淡い映像に重ねてくれただけで、観ている間は幸福だった。海岸線から町、球場や学校へと移ってゆく歌詞は、この映画の脚本とも空撮とも呼応している。

YouTube

 

 

*1:打つ段になって、ようやくwomenが複数形なことに気づいた。この映画は一人の女の生涯を映すが、同時にその時代の女たちの話でもある

*2:西海岸、LAのちょっと北西

日記・雑記 カメラを向けられたときのぎこちなさについて

 

6月〜7月上旬の、とりとめもない日記・雑記です。

 

‪<カメラを向けられる>

訓練されていない人間に、いざ撮影、とカメラを向けると、動きがぎこちなくなる、ただ歩くだけで不自然に見えてしまう、という図は簡単に想像がつく。今日、「そういう時は何かものを持たせて撮ればいいんだよ」という話を聞いて、視界がぱっと開かれたような気持ちになった。

いざカメラを向けられて歩くとき、人は普段自然に行なっていた動作を意識化して、足の角度や力の入れ具合など、思いつく限りの各項目で適切な動作を出力しようとする。そして、その行為の煩雑さがキャパを超えたり、項目が網羅できない部分が多かったりで不自然に写ってしまう。何かを手に持つと、網羅すべき項目が減って、たぶん少しは歩きやすくなるんだろうな。

自分の体験に照らせば、数年前、友人の撮影に付き合ってカメラを向けられたことがあるが、できあがった映像で歩く自分は、まあ驚くほど気味が悪かった。それにはもちろん自身を見る気持ち悪さも含まれるけど、そこに写っていたのは、歩いたりスマホを取り出したりの動作全てが不自然で、いかにもぎこちない、立つ瀬のない人間だった。

だがここで言い訳したいのは、画面の中で歩いていた自分はたしかに「手ぶら」だったということだ。

 ネクタイ結びからブラインドタッチまで、体で覚えている類の記憶は「非宣言的記憶」と呼ばれ、言葉で手順を再現しようにも、何かが抜けたり順序が前後してかえって伝わりにくいようにできている。こういう静的/動的なプロセス(ROMとRAMっぽい)はAIに転写するときどうなるのかとか、記憶宣言的(静的)/非宣言的(動的)という枠組みで人の動作を捉えると、役者は何の訓練をしているのか*1、などと考え出すと興味は尽きないが、記憶と演技の関係、みたいな演劇論は無限にありそうだし、これ以上書くといかにも平田オリザを読みかじった人の演劇話になりそうで恥ずかしい*2のでこの辺で…。

 

そういえば、先週くらいの『ハイキュー!!』で、主人公チームの控え選手がサーブに立つ、緊張を抑えるため、いつものルーティンをこなそうとするが、練習のとき見えていた非常口の緑の灯りが隠れて見えない、その途端、今まで耳に入らなかった声援や場内アナウンスをはっきり意識してしまい、集中が途切れる、というシーンが描かれていて、この漫画はこういうとこが面白いんだよな〜、流石だな〜と思った。これもスポーツではよくある、非宣言的な技能にふせんを貼る作業だ。

 

 

 <  人生〜 >

⑴「トレインスポッティング評で、レントンの倫理観にダメ出ししたやつがあったよ」と友達から夜中にLINEがきて笑った。トレスポ観たあとで倫理の話すること自体が面白いけど、聞くと、主人公レントンが友人カップルのハメ撮りを勝手に拝借した件だったのでまた笑った。ことの結末から因果でたどっていくと、友人のサムが脳炎で死んだきっかけはレントンの盗みにある、という話だけど、当初の意図を抜きにして、因果や可能性を使って大元を導きだすのはまあ不毛な行為だ。

 ⑵フランス映画でよく出てくる"C'est la vie!"というセリフ。直訳は「人生だ」だけど、例えばトリュフォーの映画では、ナンパ師が女の子に声をかける、

 

「でもこれから予定があるのよ」

「そうか、それは残念」

「C'est la vie」

 

と続いたりして、なんとなくのニュアンスは伝わる。「まあ仕方ないよね」「人生そんなもん」みたいな含みだろうか。これは英語なら、たぶんヴォネガット(や、それを流用する村上春樹)の「そういうものだ」に似ていて、日本語ならきっと、関西弁の「しゃーない」に近い。*3だからトレスポでサムが死んじゃったのはかわいそうだけど、まさしくC'est la vie(セラヴィ〜)って感じ。

自分の話のように書いたけど、フランス映画によく出てくるセラヴィがね……という話は恋人が話していて素敵だなと思ったもので、私はトリュフォーの映画を観たことがない。

 

 <外国人の友達>

最近韓国人の友人ができた。私にとって身近な韓国との接点であるDEANやhyukohは何を言っていて、どんな風に聴かれているかとか、「先輩後輩の関係が強固だから、相手の年齢を確認しないと話し方が定まらないって本当?」みたいな文化あるあるを確かめてみたいとか、いろいろ話したいことはあったのだが、彼女は話がそういう韓国文化の方面へ傾くと、少し戸惑った風に「え、なになに、これって文化交流の場?」と言うので、胸をトンと衝かれたような感覚になった。

 

日本で外国人の友達というと、その国代表みたいに扱われがちで、出会い頭に形式的な国際交流が始まるのは想像に難くないけど、日本で暮らす韓国人という立場なら、そういうのは何十回も通過していて「またこれか」という感じが頭をよぎるんだろうなと思った。彼女が、意識高いテンプレのような同僚に対して、「留学経験あるからって私と仲良くできると思うなよ!」と毒づいていたのはとても良かった。しばらく話をしたあとで、「でもあなたは儀礼的に国のことを聞いてるんじゃなくて、まっとうに韓国に興味があるって分かるから、質問されるのは嫌じゃないよ」と言ってくれて、だいぶ気持ちが楽になった(とはいえ、やはり根掘り葉掘り聞きたいとも、聞くのが許されたとも思わなかった)。

他人のことを、「自分が何か言うと跳ね返ってくる反響板」くらいにしか捉えていない人はたくさんいて、自分はそうならないよう心がけていたつもりだったけど、「外国人」というベタなファクターが差し込まれて未知の部分が増えるだけで、自分も簡単に無礼な人間になりうるのだと思った。気をつけよう。

 

(余談だけど、その韓国の友人とは関係なく、最近は韓国文化全般や、韓国社会とジェンダーの関わりについての本を図書館で借りて読んだりしていて、何気ないエピソードひとつが興味を惹くものだったりする。

例えば、韓国では出産を終えてすぐワカメのスープを飲む(受験受かった時なんかも、人生のあらゆる節目で飲む)風習があるのだが、ベッドでスープを飲む母は、自身の出生のことや、自分の母のことを思い出すだろう、国の風習レベルでそういう補助線が認定されていて、価値観の再生産がごく自然に行われるのはよくできていて面白いし、それは当然儒教と関わりがある、また、時期がら周りの新入社員を見ていて、エリートたちが休日返上で出し物の稽古をして劇を披露するような風習は極東アジアにしかないだろうな、などと、いろいろなことをまとまりもなく考えていたので、私は相手を混乱させないような聞き方で、韓国を知る人に質問してみたいと思っていたのだ。

ちなみに彼女に、「日本でいう新入社員の劇みたいな風習ある?」と聞いたら、韓国の大企業、LGやサムスンでは会社ごとにダンスが決まっていて、新入社員はそのダンスを覚える、下らない伝統だと思いつつも、大企業に入ること自体が難関なので、みんなその立場に優越感も感じているはず、という話をしてくれた。)

 

<異文化交流>

 異文化交流といえば、先月観た冨田克也監督の『バンコクナイツ』を思い出す。面白いところもたくさんあるのだが、映画全体としてはあまりにダメな破綻が多すぎて楽しめなかった。

バンコクナイツ』には作中ではっきり伝えたいことがある。その問題意識は面白いけど、その要約があれば満足というか、作品の方は単に問題意識のネガでしかないと感じてしまう。だから監督の冨田克也は自分にとって、インタビューや書きものには興味があるけど、作品そのものにはそれほどの魅力を見出せないというタイプの作家だ。*4

いろいろな要素が絡むのだが、作中で一番興味深いテーマを約言すると、『片方がもう片方の顔を札束ではたく、それ以外のやり方で文化交流をするにはどうすれば良いか』である。映画の後半でタイの田舎、イサーン地方が出てくるが、撮影班は、現地の人たちにぽんとお金を渡して撮らせてくれと頼み、家にずかずか入る、といういかにも普通のドキュメンタリー的手順を踏まない。話を冒頭のトピックに繋ぐなら、そうして撮られた現地の人々はみな「手ぶら」で「ぎこちない」はずだ*5。『バンコクナイツ』のスタッフたちは、同じ地域で何週間も生活し、打ち解けてきたところで初めてカメラを向ける。こういう手法は掛け値無しに素晴らしいし、その打ち解けた空気を画面に捉えるという試みも実を結んでいると思う。

 

異文化交流という言葉に引っ張られて思い出しただけで、日本人と韓国人の友人関係は、タイの村落にカメラを入れるとか、落書きを美術館に所蔵するとか、そういう文化搾取になりうるものとはまた別で、基本的にもっと水平的なものだと思う。ただ、どんな交流も、沖縄問題のように力関係が働いている背景や、相手の言動をナショナリティや育ちに還元してしまう危険について意識的でありたいよね、という話です。こう書くと当たり前に聞こえるけど、気を付けていてもできない時がある。

最後にこの夏延々聴いてる韓国のアーティストの曲を貼っておきます。

DEAN - love ft. Syd - YouTube

 

 

love (feat. Syd)

love (feat. Syd)

  • DEAN
  • R&B/ソウル
  • ¥250

 


 

*1:濱口竜介感…

*2:人間の俳優は50回、100回と舞台を経るうちに洗練された無駄のない動きになるが、そのぶん新鮮味やリアルさは失われることを、ロボットに演劇をさせる研究で定式化したり、体操選手が難度の高い技を習得するとき、体の動き以外に、天井や床の見え方も含めて記憶するが、それが演劇の稽古でも起こるーー普段見えている小道具を隠すだけでセリフが出てこなくなる、等いろいろ面白いことを言っています。

*3:綿矢りさの『かわいそうだね?』が念頭にある

*4:自分にとってはtofubeatsも似たような存在だったりする

*5:濱口竜介感…②

牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件 感想

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1991年の台湾映画。観てからひと晩経ちはしたものの、いまだに「すごいものを見た」という感覚が自分の中で反響している。まとまらない状態のまま書いていく。

 

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この映画にはまず、中国(親)から分かれた台湾(子供)という図*1がある。そしてそれは台湾の内で反響する。「大人になれば分かるさ」というセリフが、子供たちの頭を幾度も撫でつけることで多重化されるのだ。

加えて、舞台となった1961年の台北といえば、中台戦争のただ中にあり、当の大人たち自身も、自らの力では制御できない外部と圧迫を感じている時分である。彼らの抑圧的な態度は本作に終始不穏なトーンを差し込むが、それは解消不能な不安や、自身の疑念から目をそらそうとする身振りに他ならない。「漢字はアルファベットより書く手間を省けると言いますが、”我”はどうです?」と教師の矛盾を指摘した生徒が、晒し者にされるシーンは象徴的である。

今まで擦り切れたレコードのように繰り返されてきた言葉──「大人になれば分かるさ」は、この映画においても、大人たちが分からなかったことを神秘化し、次世代にリレーする語彙として現れる。

 

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不安な大人たちをよそに画面を彩るのは、分かったふりのできない少年たちだ。縄張りに侵入したよそ者をリンチするところから、賭博場やクラブのシノギ、敵陣への討ち入りまで、節々でどぎつい暴力をやってのけるものの、彼らはせいぜい10代半ばから後半であり、現代の日本人から見ると、現実感や、自他の生命に対するリアリティをあまりに欠いている(ものの言いようで、これは全く反対かもしれないが)と感じる。白か黒か。緩衝材になるような対話がないために、事態はどんどん先鋭化し、互いに死人が出るまでに発展する。戦意高揚のため、敵の内面を空白のままにしておくのは定石だが、作中ではそのような意図の介在する以前に、空白を以って敵は敵となる。
血なまぐさい描写は多いが、画の綺麗さ、街並みの魅力や、当時の台北の暮らしに宿る息づかいはこの映画の大きな美点であり、ひとつの時代を描く物語として、でたらめな強度(ベタな修辞、、)を持っている。

 

 

そして何よりも女たち。この映画において、お互いを兄弟と呼び合い、「俺たち男の友情は女には分からない」「女のこと(些細なこと)で男が争うなんて馬鹿馬鹿しい、これだから女は──」と断じる男たちは、簡単に「女」を理解不能なものとして域外へ追い出してしまう。ここで女たちが等しく(一様に、多様さがないまま)放逐されるのが、ディテールのない真っ暗闇な外部である。まるで、誰かの笑い声とボールだけが転がってくる闇夜のような……。だからこそ女たちはその鈍い抑圧に目ざとく反応し、男たちの安易な誘いをはねのける。そこに主体同士の関係がないからだ。ヒロインである小明の言葉を借りればこうなる。


「変えられない──私もこの社会も同じよ」

他人が自分の感覚の上を走り抜けていくだけの像であるならば、主人公・張震の愛情があんな形をとってしまったことにも少しは合点がいく。張震は、相手を自分の望む形に変えることでしか関係を築けないが、それは、彼の言い分に耳を傾けないまま処遇を決めてきた、あらゆる抑圧の再生産なのだ。

1961年。台北しか知らない主人公の世代と、中国本土から渡ってきた公務員の親世代にはそもそも深い溝が横たわる。国民党政府に連行された父の事情を張震が理解しているとは思えないし、彼にとっては、抗争のための刃物はリアルでも、道をゆく戦車はデートの背景でしかない。

身内を洗う政府、敵対するギャング、威圧的な大人たち*2。どれも有無を言わせぬ力とともに迫ってくるものの、抱えこんだ事情をなかなかこちらに明かしてはくれなかった。なぜ父親は連行され、なぜ解放されたのか。なぜハニーは殺されたのか。カメラを通した観客にはまだしも、当事者たちにとって、因果を支える根本にはぼんやりと霞が残ったままである。

この映画に現れるさまざまな齟齬は、噛み合わない両者が、互いにとって*3他者以前の外部で、細部を持ちえない遠い存在であったことに起因する。「牯嶺街少年殺人事件」は、いやでも齟齬が折り重なってしまう時代と場所で、軋みを立てながら暮らす市井の人々の記録である。

 

映画のラストシーンには救いがない。あまりに遠い存在であったエルヴィス・プレスリーから親密な返事が届くのに、その報せは獄中の張震に届かず、季節はひと回りし、冒頭と同じシーンが繰り返される。だが、抗争から逃れた不良は暇つぶしにトルストイを読むかもしれない、姉はキリスト教を説くかもしれない、もう1人の姉はアメリカへ留学するかもしれない。いや、遠くのもの、外国のもの*4である必要はないのだ──何より、恋した女の子によって、触れ得ぬ他者への触れ方を教わることができたかもしれない。

 

張震の持つ懐中電灯は、ほんとうは彼女を照らすための灯りだった。希望は静かにサインを送っていたのである。

*1:元々は台湾の国民党政府が本丸なので語弊はあるが、なんにせよ台湾島へ敗走したのは国民党の方である

*2:余談だが、Don't trust over 30的な風潮がどんなときに浮上するのか、台湾を通じて明確な見取り図をもらったような気がした。Don't trust over 30を唱えたキッズがやがて30を越えるというアイロニーの魅力がある。

*3:女にとって、のみが相互的でないのが図として面白い。

*4:外国のもの、を傍観者のように捉えていて、ここで他者として登場することに違和感を感じる人もいるかも知れないが、本文の文脈では他者と傍観者を区別することにあまり効果がない