地理、水場、引越しなどについての日記


 
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この春、いま住んでいる東京から福岡へ引っ越す。もともと生まれ育った京都が愛憎ありつつも好きで、ミーハーだから東京も好きで、それ以外ではじめて住んでみたいと思えたのが福岡だった。
東京や大阪とは比べものにならないほどきれいな都心、外食産業の発達ぷり、海の身近さ。もっと直感的なところでは、建物が低く、空が広いのが嬉しかった。都心から地下鉄で11分のところに空港があるためだ。自分が生まれ育った京都も景観条例で建物が低かった。あの風景に慣れてしまったせいで、いまも空が狭いと落ち着かない。
 
 
京都にいたころ、冷泉家という貴族の屋敷で何年も働いていたから、福岡の街中に冷泉通りという街路を見つけたときは嬉しかった。大昔、福岡の沖で人魚が釣りあげられ、朝廷から冷泉中納言が派遣された話に由来しているらしい。
微かなつながりでも喜ばしい。近くに祀られた人魚の墓もいい。その通りに近づくたび、京都の公家を、逸話のなかの人魚を、この地と屋敷との奇妙な縁のことを考えた。
 
 
いまはスペースワールドのことを考えている。福岡県北九州市に存在した遊園地。訪れる機会がないまま閉園したその場所は、ずっと車窓の向こう側のものだった。電車が動き出すと、絶叫マシンのコースが派手な曲線として窓を横切っていく。あのアイコニックな図形が、「スペースワールド駅」というアナウンスが、いまも記憶のなかに封じ込められている。だが2018年元旦の閉園以降、徐々に解体が進んでいて、このあいだ通ったときには、曲がりくねったあのコースはばらばらに寸断されていた。
 
それでもあの「スペースワールド駅」という名前は残るだろう。学芸大学駅みたいに。珍しい名前の駅は毎度必ず反対にあうが、地理の裏付けさえあれば、味のある結果を生むはずだとつねづね思っている。数十年後、何もない場所にスペースワールド駅が佇んでいるといい。
 
 
2017年刊行の本で何より素晴らしかったのは、椹木野衣の『震美術論』だった。この本のおもしろさを書き連ねるときりがないが、そのひとつに、被災地の地理に関する記述がある。

東北大震災のあと、もちろん過去の震災の記録に関心が集まった。そこで注目を浴びたのが、三陸海岸に点在する石碑群であった。それまで古びた文化財としか考えられてこなかった石碑が、実際にはその地方で歴史的に繰り返されてきた大津波の到達地点を伝える、歴史的メディアであったことが浮き彫りになったのだ。

また、2014年に起きた広島の土砂災害においては、いちばん被害の大きかった地域が、もともと「八木蛇落地悪谷(やぎじょうらくじあしだに)」と呼ばれており、土地を売るために「八木上楽地芦谷」に変更された、という説が紹介されている。

こういうことを考えだすと、なんでもなかった地名が、石碑が、名字が、示唆的なものとして光を帯びる。なんならヨドバシへ行くだけで水場の記憶が流れ込んでくる(電波!)。かつて大規模な浄水場が立地した、未開発な新宿の記憶。普段は意識しなくとも、固有名詞の中に残った微かなイメージを感じながら生活していることをときどき思い出す。
 
 
1年住んだ江東区に思い入れがあるかといえばまだ分からない。ただ、「東京都江東区」につづく「海辺」という住所が好きだった。住所の響きで決めたようなものだった。海辺に帰ります、海辺の家に住んでいますと言うのは気分がよかった。ただ、じっさいに海の気配はなくとも低地で、水害のことが頭からはなれなかった。悪夢にはよく水が流れ込んできた。
 
生活圏が2階までに限られていたから、寝るまえにはいつも悲観的な災害予測を──4階の高さまで水に浸かるという試算を──思い出した。タワマンに住んでいる人間だけが生き残るディストピアを想像してときどき冗談を言った。次に住むのは水害とは無縁の土地だから、水の夢にとらわれることもなくなるだろう。
 
江東区に住んでいる友達はひとりしかいなかった。タワマンの13階に住んでいたから水没の心配はないはずだが、断水工事のさい、蛇口をひねったままにしていたせいで部屋を水浸しにした。本当の話。本当に気の毒。
 
 
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2/2
 
渋谷で久しぶりに朝まで飲み明かし、うとうと始発に揺られている。最寄駅につく。改札をでて、海辺の自宅へと歩く。とちゅうで橋にさしかかると、横から強烈な朝日が射してくる。みごとな朝焼け。思わず足を止め、しみじみ朝日と川を見る。ほんの数十分まえ目にした、渋谷メルトダウンとの振り幅を思えば自然に笑いがでてくる。喫煙者じゃないからわからないけど、こういうときにたばこを吸うと気持ちいいんだろうな。
しかし、川の上流をぼんやりながめているうちに、自分の知っている朝日と何かが違うことに気づき、だんだんと困惑しはじめる。ちょっと気持ち悪い。方角がおかしい。
 
 
京都にいたころ、毎年大晦日に友達と集まり、クラブや飲み屋をはしごしながら初日の出を待つ恒例行事があった。そのとき、朝日は川の向こうからのぼるものだった。京都の市街地は基本的に川沿いに位置しており、朝まで遊ぶといったらまず河原町、文字通り河原に広がる町しかない(京都METROもあるけど)。だから、夜遊びのラストシーンはおのずと決まっていた。

朝がくる。川の向こう側から朝日がのぼる。だが自分たちがたむろするこちら側はまだ暗い。京阪に乗るため、橋の向こう側へ、明るい方へと歩いていく。友達と別れる。京阪の出口から橋を振り返ると、さっきまでいた場所が明るくなっている……。
つまり京都の朝日は川の対岸から、江東区海辺の朝日は川の根元からあらわれる。
 
 
地理に由来した感覚をおもしろいと感じる。たとえば渋谷では、疲れているときに歩き回ると、どんどんと駅の方へ吸い寄せられてしまう。地形がすり鉢状で、その底に駅が横たわっているから。神戸では、北↔︎南ではなく山側↔︎海側というインフォグラフィを見かける。だから、坂を下ると海に行きつくという生理的な感覚が神戸の人たちには染みついている。
 
碁盤の目が張られた京都では皆、x軸とy軸のグリッドで場所を把握しているが、東京の人びとは、出発駅と、つり革につかまっている時間の極座標で場所を認識している。だから道案内のときに北とか南とか言ってもほとんど通じない。
 

ある場所では坂をくだると駅に吸い込まれる、別の場所では海へ行きつく。ある場所はグリッド上に、別の場所は極座標上にある。ある朝日は上流から、別の朝日は川の向こうからのぼってくる。
川の方向が南北か、東西か、それだけのことで、太陽が対岸からあらわれるのか、上流からあらわれるのかが宿命づけられていて、どんなに何気ない川でも、タイミングが味方すればびっくりするような美観を隠していることに思い至る。そういえば、濱口竜介の『親密さ』は、この秘めたる美観を生かした映画だったな、と思い出す。
 
 
朝日についての違和感がとけたところで、また家へと歩きだす。牛乳を買いに寄る。もう引っ越しまで間がないから、最近は移動のコストに見合わないものや、保存の利かないものを少しずつ捨てている。スーパーに来る回数も減った。
今まで、まわりのパックにまぎれて賞味期限が早い牛乳を見かけるたびに、「誰がこんなもの買うんだろう」と感じていたが、ふと思う。去り際の人が買うのかもしれない。はじめて古いパックを買う。4月にはもうここにいない。