なぜ山下達郎批判の足並みは揃わないのか|山下達郎・松尾潔・ジャニー喜多川をめぐる短い整理

ここ数日、トレンドに山下達郎の名前が挙がり続けている。

松尾潔氏によるジャニー喜多川ジャニーズ事務所への批判と、それを受けた事務所の契約解除、続く山下達郎の声明が話題を呼んでいるのだ。

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詳しい説明は省くが、ジャニー喜多川の肩を持った山下達郎の声明は間違いなく批判されるべきだろう。しかし彼に対して寄せられた批判を並べてみると、内容にかなり幅があることに気づく。山下達郎を批判する者同士で牽制し合う光景すら目に入る。

特に、いわゆる左派の有名人による批判と、これまで彼の活動を追ってきた評論家やリスナーの批判にかなり差があることは間違いない。山下達郎について一家言ある人ほど、痛烈な批判はしていないように見えるのだ。私の見立てでは、これは評論家たちが思い出との間で板挟みになっているとか、利害関係があるとか、そういう話ではない。

私も山下達郎の音楽を聴き、10年以上レコードを集めてきた身として、そのあたりの立場の違いを手短に言語化してみたい。

 

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彼の録音を聴き、インタビューを読むと(読まなくとも)わかることだが、山下達郎は演奏者として、作曲家として、聴き手として、非常に深く音楽に通じた人物である。しかしその享楽的な作品の中に、いわゆる政治的なステートメントはない。信じられないほど高度なミュージシャンシップに彩られた楽曲のほとんどは、甘いラブソングや夜遊びについての軽薄な歌である。

しかし彼のバイオに目をやると、1968年を経、学生運動からの転向を経験している。ただたんに政治的でないというだけでなく、反政治的な態度を織り込まれたスタイルを長年貫いてきたことがわかる。交友関係についてや音へのこだわりについて、サブスクについて、近年のシティ・ポップの再発見について等、触れるべきことはいくらでもあるが、山下達郎についてごくごく簡単に説明するとこんなところである。

……こういう書き方をすると、山下達郎は主張や中身は何もない、空虚で反政治的な音楽家なのだと図式的に捉えられるかもしれないが、そんなに単純な人物ではなく、ニュアンスを伝えるのは難しい。

 

なんにせよリスナーとしては、あれだけ深く音楽に通じた人間が、参照点として軽薄で形式的なものばかりを選んで50年以上続けている、そのことに重みを感じてきたのだ。

ただ別な言い方をすると、彼が実際のところどういう精神性で音楽を作り続けてきたのか、ベールに包まれていたということでもある。それが今回の件を通して、視野狭窄な職人気質が見えてきたのだ。

 

もし今回の事件より前に、山下達郎はこういうとき人権意識に基づいた応答をする人なのかと問われたら、そこのところはこれまで「わからなかった」のである。だから、多くのリスナーにとっては、「信じていたのにショック!」という感じではなく、「まあ、とても残念だけどさもありなんという気もちょっとする、うーん……」みたいな反応がリアルなのではないかと思う。山下達郎が前から意識の高いアクティヴィストであったかのように失望するのも妙な話だし、ただ純粋に好きだったのに悲しいです、みたいな反応も浅い。

今回、社会派ご意見版みたいな人々がさまざま「失望」を表明していた。失望の裏には期待や信頼があるはずだが、山下達郎を追ってきた人たちから見ると、そもそも彼(女)らは「失望」するほどに期待や信頼を寄せていなかったように見える。聴いてもいなかったのではないか、政治的な主張のためのポーズではないか、と勘繰ってしまうのだ。

ごく倫理的に、「山下達郎の作ってきた音楽も日本のポップ音楽史も彼のこれまでの政治性も知らないし知るつもりもないが、彼の発言はとにかく問題である」とするのも一つの立場かもしれない。ただ、彼の半世紀以上のキャリアを一切無視するのも批判として不十分ではないかと私は思う。

 

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おわりに

この文章はいわば、「音楽への関心も敬意もないが、ただ政治的な闘争のために関心あるふりをする人」を文芸批評的な観点から批判したもので、それも重要だと思って書いている。だが、山下達郎の声明そのものについていえば、何よりも問題なのは、ジャニー喜多川への「尊敬の念」を表明することや、松尾氏のジャニーズ批判を「根拠のない憶測」とすることが、強烈な二次加害だということだ。決死の思いで訴え出た人がこれだけいて、何が憶測だというのだろう。

 

 

 

 

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本当にどうでもいい追記

思い返すと山下達郎をちゃんと聴くようになったのは19歳の頃だった。クラブから自転車で帰るときに、有村さん(後のトラックメイカー in the blue shirts)に勧められた。
「そんなにいいんすか?」

と質問したら、

「まじで全人類に勧められる音楽やで」

と返ってきた。本当にその通りだと思った。

いまでは全人類に勧める気にはなれなくなってしまった。実家のどこかにFor YouやSpacyがあると思う。積極的には考えないようにしているが、頭の隅で売価を気にし始めている。ヒーローはいつだって私たちをがっかりさせる。