草の根で文化活動をやること/“やっていき”のこと

引用が多く、スクラップブックのようにまとまりのない文ですが、ここ一年の活動を通して、文化をつくること・お客さんをつくることについて感じた雑記です。

 

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・草の根で文化活動をやること

約一年まえのこと。わたしは小雨が降って肌寒い九月のある一日に、ミツメとシャムキャッツのライブを観ようと福岡まで来ていた。しかし当日は“猛烈な”強さの台風二四号が北上を続けており、アーティストたちが到着するかどうかは運次第というところ。ライブのチケットを買った誰もが気を揉んで、逐一SNSをチェックしていた。

告知を待つあいだ、わたしと友人はだらだらビールを飲む、サイゼリヤの間違い探しを全クリするなどの活動に勤しんでいたが、結局、大事をとったJALの飛行機は直前で引き返してしまい、わたしたちはボッティリチェリの画のまえで悲嘆に暮れた。前日の公演が札幌だったことも災いし、飛行機がダメとなると、新幹線だろうが車だろうが、他の交通手段でカバーのしようがなかったのだ。

しかし、そんな不運のうちにも希望はあるもので、SNSで中止が発表されると同時に、主催の人たちが気を利かせて「残念会を開催します」と告知した。「喫茶店のフロアを貸し切って今日聞けるはずだった曲を流すから、ビールの一杯でも飲んで帰りませんか?」という趣旨のイベントだ。

 

こういうイベントは、ある意味で地方ならではのものかもしれないと思った。ライブや演劇、映画などのイベントが入れ替わり立ち替わり開催される都心のタイム感に慣れた人にはピンとこない話だと思うが、福岡ではミツメとシャムキャッツ(有名なインディーバンド、演劇や特集上映のビッグネームならなんでも置き換え可)を観る機会は年に数回しかない。

興行の南限が福岡ということも多々ある。当日は有給をとったり宿を予約したりの人々が九州じゅうから集まり、多くの人が路頭に迷っている状態だった。だからこその「残念会」であり、このまま帰るのは味気ないという機運が多くの人たちに共有されていたのである。

 

かくして残念会に参加した。ビールや軽食でくだを巻いているあいだにぽつりぽつりと人が増えてゆき、最後は二十人くらいになった。気の合いそうな同世代がいる、クラブでときどき見かける、どういう経緯でここへ来たんだろうと興味を起こさせる妙齢の女性がいる。ビールを飲みながら話していると話題は音楽から離れていくのだが、曲が変われば、「ああ、この曲がいちばん好きなんだよね」と、われにかえって残念がる人の姿もある。

あの急ごしらえの場で、たまたま居合わせただけの自分に対するフレンドリーな態度は嬉しかった。京都からいちど東京へ、そして福岡へ移り住んだ自分としては、「半年前にミツメが来たときはさ.…」と話題に花が咲く空気は、東京にはないが関西にはあったタイム感で、どこか懐かしかった。

わざわざ有給と宿をとって宮崎から来たOLや、九州の音楽イベントを草の根で支えている人たちと話すうちに、自分がクラブへ行きだした十代のころを思い出して、なかなか胸にくるものがあった。佐賀での商店街の記録活動をしていますという女の子ともその日に知り合った*1

 

しかし、この話を東京生まれ・東京育ちの友人に話したら、「でも身内感強そうだよね、俺はそういう雰囲気あんま好きじゃないな」という反応が返ってきたのがもどかしかった。

 

「そうじゃなくて、好きか嫌いか以前の問題なんだって、たとえば東京で千人集まるクラブイベントが関西だと五十人に満たないなんてことはざらにあって、そういうハード面の背景がある五十人のフロアでは、ソフトな努力──人間同士のコミュニケーション──に頼って集客を求めざるをえない、もし好きな音楽や、演劇や、読書会なんかのイベントに出かけて、身内感があって入りづらいなと感じたとする、そこで、身内感がなくなる呪文をためしに唱えてみる、するとその場自体が消滅して、みんながイベントのない日を過ごすことになる、文化を楽しむためにコミュニケーションが必要だなんて面倒に感じるかもしれないけど、地方で文化的な企画をするとはそういうことなのだ、それに、イベントへ行くたび誰かを紹介してもらいながら、ゆるい連帯ができていくのは楽しいことでもあるんだよ」


と、すぐに言えたらよかったが、そのときの自分は、「まあ身内感が嫌だって気持ちはわかるよ」と流しただけだった。そう言いながら、東京で働いていたころを思い出した。当時よく足を運んだ渋谷のVisionやContactといったクラブのフロアは、趣味のよさを保ちながら色気もあり、行ってみると知り合いだらけという村社会から解き放たれた気楽な場だった。圧倒的な資本の凝縮がもたらすフロアが感じさせるのは、冷たさや孤独感ではなく、誰も彼もを飲み込んで成長する巨大都市の祝祭的な響きだった。

電話を終えたあとで、ふと佐々木敦氏のツイートを思い出した。文化の興行について、身内感について書かれたものだ。

演劇に限らず、ある規模日数以下の公演イベントの成功の鍵は、今やはっきりと、主催者や出演者の友人知人がどれだけいるか、ということになってしまっていて、純粋観客の数はどんどん減っており、正直時々うんざりする。僕はそういう知り合いしかいないイベントのことを、リア充集会と呼んでいる。引用元*2twitter: @sasakiatsushi

 

昨日だったかのツイート、なぜか小規模イベントを主催運営出演してる側の反応が多い気がするんだけど、なぜかというかだからこうなっちゃったんじゃないの? やってる側にも改善の余地はあるかもしれないけど、僕が言いたいのは、関係者disでもなくて、純粋観客の、受け手の不在の話なんですよ。

引用元*3twitter: @sasakiatsushi

 

ここで小規模なイベントの主催者を批判する意図はまったくない。また、もちろんのこと、地方vs東京などという争いを焚きつけたいわけではない。そのような表面的な対立に気を取られていると、ほんとうに重要な背景が見えなくなってしまう。東京とその他で文化に対する姿勢が違うのは、たんにリソースの差があらわれているだけの話だからだ。

たとえばJR東海が黒字でJR北海道廃線だらけなのは、JR北海道の努力が足りないからではなく、ただのリソースの反映であるし、もっとミクロな話でいえば、それこそ商店街の存亡は、その商店街の努力だけではどうにもならないところがある。何よりも地価や人口密度、所得、鉄道計画などの総合として決定づけられてしまうからだ。たとえ東京でもそれは変わらない。

先に引用した佐々木敦氏のツイートは、文化として観客の少ないジャンルであれば、たとえ東京であっても「観客の不在」に直面する事態には変わりがないことを示している。 そして何より重要なのが、上記のツイートの続きである。以下。 

観客増のための努力や戦略はもちろん重要、でもそれと同時に、それ以上に「観客の育成」いや「観客の創造」が急務なのだと僕は思います。引用元*4twitter: @sasakiatsushi

 

経済の縮小やムーブメントの蛸壺化などの前提のもと、音楽、演劇、出版等々、文化的な活動は全般的に苦境にあえいでいるように見える。その逆境でどう振る舞うか。

このあたりの問題意識が後期資本主義とくっつくと、ビジネスと◯◯(ex.ビジネスとアート)的な、自分の食い扶持を稼ぐべし、誰にでもわかるものにすべしという方向に流れていき、食えてないのはビジネスモデルがダメだから、努力が足りないから、という話になるのだが、そういう方面の話はここでは措く。基本的に、ハイブロウな文化をビジネスとして成り立たせている人たちはスーパーマンなので、彼らの生存戦略には再現性がない。この記事では別の方面に話を進めたい。

 

 

・“やっていき”のこと

ここで、ツイッターで普段から見ている人たちの発言をいくつか引用したい。どれも示唆に富んでいて、心から推したい発言である。まず、瀬下翔太氏*5のツイートを引用する。 

 

現代の日本のインターネットのなかだけで考えてると、持続可能性のための条件は金とフォロワー数くらいになってしまう。しかしほかのところに目を向ければ、人間がなにかを続けていこうとするためのインセンティブにはいろいろな種類があることがわかって、元気が出てくる。

引用元*6twitter : @seshiapple

 

儲かってなくて助成金とかももらってなくてでもなぜだか続いてる同人活動について、現代のそれとは少し違うノリで考えるといろいろ捗る。具体的には、郷土史とか、学校のめちゃいい先生がつくってるクオリティ高いクラス誌みたいなのとか、句会とか、そういうのみるとなんか違う気分になれる。

引用元*7twitter : @seshiapple

 

 

続いて、第五回ハヤカワSFコンテストで大賞を受賞した作家、樋口恭介氏のツイート(削除されてしまったが……)。

創作で食えない事実が創作の敵なのではなく、金にならないとダメ、食えてないとダサい、みたいな空気の方が敵。人んち行ってギターがあったとして、「食えないのにまだ音楽とかやってんの?」みたいなのより、ギター弾いたり歌ったりしてみんなでセッションできるみたいな文化の方が良いに決まってる。

引用元*8twitter : @rrr_kgknk

 

どちらも草の根で文化活動をする人たちの背中を押す発言だが、最近のインターネットでは、こういう精神性を一言で言いあらわす言葉をよく見かける。それが、“やっていき”である。出版や音楽イベントの企画をする人たちのあいだで合言葉のように使われていて、目に入るのは、頑張りましょうね、それぞれの“やっていき”を続けましょうね、と互いを励まし合う光景である。

文芸の同人誌として信じられないほどの売り上げを記録した、ヴァージニア・ウルフの同人誌『かわいいウルフ』(詳細*9 )の増刷記念では、“わたしたちのやっていき”というイベントも開催された*10

 

“やっていき”とは、端的にいってどんな意味合いだろうか。明文化されているところを見たことはないが、ためしに言語化してみると、「文化をつくるうえでのハード面の課題──知名度が低い、過疎地で企画をしている、行政の支援を得られない、観客がいない、資金がない等々──を抱えながら、課題をソフト面の努力で埋める、そしてそれを自主的に行う試行錯誤」を指すのではないだろうか(違ったらごめんなさい……)。

 

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福岡天神の書店、『本のあるところ ajiro』

個人的な体験に引きつけた例を出すが、わたしは九月から、福岡・天神の書店「本のあるところajiro*11でお店づくりに携わっている。海外文学・人文書・詩歌に特化した選書で、日本全国を見渡しても、こんなにハイレベルなセンスに裏打ちされた店はまずない、素晴らしい場所だと言い切れる。

ただある意味で、「地方で文学や哲学の拠点となる場をつくる」という志のもとに成立した書店は、世の中で求められる以上の文学や哲学を供給していることを意味する。そこには背伸びや摩擦があるわけだが、まさにその点こそが重要なのだ。

 

少なくとも自分の周囲で文化的な活動をしている人たちは、「文化的にとても重要な企画だけど、知名度がないから不安」「今までになかったおもしろいものだけど、みんなに伝わるだろうか」などの逡巡を経てなにかを企画し、その魅力が伝わる場へ誰かを誘おうと腐心しているように見える。

なにが言いたいかというと、その逡巡(あるいは摩擦、あるいは背伸び、あるいは“やっていき”)こそが「観客の創造」、ひいては文化の創造につながっていくということだ。むしろ逡巡が全くないのなら、それはある意味でただ需要に応えた供給であって、自分のなかで新しい価値をつくりだしたとは言えないかもしれない。

 

では、世間との摩擦込みで文化をやってみるとどんな反応が起こるだろうか。たとえば、マイナーな分野だけど本をつくってます、お客さんがいないかもしれないけどイベントを企画してます、批評文を書いています等々、クリエイティブな活動*12の第一歩を発表したとき、世間から飛んでくるいちばんメジャーな反応は困惑や冷笑である。「それって誰が喜ぶの?」。だって、彼らにとってまだ価値のわからないことに取り組んでいるわけだから。おそらく真剣にやっている人ほど斜に構えた態度で評されてしまう。こんなことをしてみましたと発表するだけでも最初は勇気がいるものだ。

だがわたしは、ここまで書いてきた人たち──試行錯誤の末におもしろいものをつくろうとしている人たち──の頑張りを推したいし、彼らこそが文化を支えてきたのだと信じている。そして、すべての人が純粋な観客ではなく、クリエイティブな活動に少しでも踏み込んでみればいいと思っている。一度でも自主的になにかをつくってみたことがある人は、他人の活動を敬意を持って受けとめられるようになるからだ。

 

ということで、各々おもしろいと思うことを、誰に頼まれるでもなくやってみましょう。一人でやってもいいし、心意気の合いそうな友だちがいるなら誘ってみましょう。はじめてみるとその続きが見えてきて、いつのまにか遠くまで行けるかもしれません。

“やっていき”ましょう。

 

twitter:  

*1:その後一緒につくった本についてはこちら→『呉服元町商店街』のこと - 屋上より

*2:https://twitter.com/sasakiatsushi/status/988046294299033600

*3:https://twitter.com/sasakiatsushi/status/988265789277986817

*4:https://twitter.com/sasakiatsushi/status/988277266898608128

*5:島根県津和野で高校生の下宿を運営し、地域の教育や研究機関に携わるほか、批評とメディアのプロジェクト『レトリカ』を刊行している人です。こう書くと活動が多岐にわたるため分かりづらいかもしれませんが、かなり気合の入った文化運動をしている91年生の人で、いつもツイッターのTLで参考にしています。彼の活動についてはこのインタビューがわかりやすいかもしれません。→https://share-study.net/interview12-seshimoshota/

*6:https://twitter.com/seshiapple/status/1160237025565351936?s=20

*7:https://twitter.com/seshiapple/status/1160236278610194432?s=20

*8:https://twitter.com/rrr_kgknk/status/1133737004561125376

*9:https://woolf.ofuton.in

*10:イベントの詳細がはっきり伝わるようなURLを貼れなくて申し訳ないが、“やっていき”の雰囲気が少しでも伝わればということで、ツイートとTogetterのリンクを貼っておきます。

ツイート : https://twitter.com/miyayuki7/status/1147759105035005952

Togetter :  「 #わたしたちのやっていき 〜インディペンデントメディアをつくり、発信することについて〜」 文芸同人誌『かわいいウルフ』重版記念 - Togetter

*11:本のあるところ ajiro|書肆侃侃房

*12:いちど書いたあとで音楽を除外した。音楽には比較的逆風がない気がする