上司の言うAIがAIじゃない率は異常

・上司の言うAIがAIじゃない率は異常

タイトルどおりです。最近はこんな話も出てきて、物騒な世の中になってきたなと感じるので書いておきたいと思います。

this.kiji.is

 

タイトルの「AIじゃない」体験でいうと、以前青山のデザイン事務所で働いていたころの上司が思い出ぶかい。難関私文出身のイケメンで、あまり人文書は読まないがWIREDを購読していた彼は、「AI時代になったら働かなくてもよくなるんだろうな」「もう少ししたらさ、頭にUSBケーブル挿して、記憶をハードディスクに保存する時代が来るんだろうね」などと自然なトーンで話すので、ときどき軽い疲労を覚えた。とても優秀な人だったが、優秀であることとそのへんの相場感はあまり関係ないのだなとしみじみ思った。

AIについては様々な言説──妥当なものから、希望的観測、SF的な想像力に支えられた終末論まで──が日々登場している。誤解が多いのもたしかで、「AIが意思を持った」「AIが小説を書いた」などの見出しに釣られて記事を読んでみると、結局は人間の指示どおりに動いていたり、見出しが単なる言葉の綾であったりすることが多い。身のまわりでも話題先行というか、あまりきちんと理解されていない気がする。

少なくとも、上司が発言する“AI”や、“シンギュラリティ”などの言葉はかなりの確率で実情とかけ離れている。おそらく全国的に。しかし、いったいなぜそんなことが起きるのだろうか。(まあ答えはわかりきっているのだが……。)

 

少し前に、哲学とロボットの両方を専門とする研究者の方からお話を聞く機会があり、そのときの内容の一部が、「AIじゃない」問題へのわかりやすい回答になっていた。重要な部分を書き出してみる。

 

 

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トークイベント 

 

トークイベントの講師は小山虎さん(経歴*1 )。大学院まで哲学を学んだのち、ロボット研究で有名な阪大の石黒教授の研究所に勤務、現在は山口大学で時間学研究所(!)というわくわくする名前の機関に所属する方で、哲学とロボット、両方のフィールドに明るい専門家だ。

 

イベントは、小山さんが学生時代からどんなことに関心を持って研究してきたか、研究の根本にある疑問とはいったいなんなのか、という話からはじまった。そして、講義ではなくトークイベントだからということで、動物の生態や、人同士のコミュニケーションについて、自身が携わってきた様々な分野を横断的に語るものとなった。最後に設けられた質疑応答の時間では、わたしの隣に座っていた大学生が挙手し、こんな質問をした。

 

Q. わたしは現在大学四回生で、“恋愛するロボット”をテーマに卒論を書いている最中です。“恋愛するロボット”について、なにか思うところ、助言や示唆などがあればお願いします。

それに続く回答がこちら。

A. まず言えるのは、“恋愛するロボット”は、いまのところ“ロボット”の話ではなく、“ロボットの表象”の話だということです。“恋愛するロボットの表象”はたくさんありますが、恋愛するロボットは存在しません。もし仮に、“恋愛するロボット”がもう少しで実現可能で、数年のうちに実用化されるだろう、という段階にあるならコメントもしやすいのですが、まだまだ遠いと思われるので、ちょっとコメントしづらいですね。

仮にそういうロボットが出てくるなら、その手前であらゆるロボットが登場することが予想できますし、そういうキャッチコピーをつけたフェイクな商品が売り出されるはずです。

もし“恋愛するロボット”が修論なら、「その分野で研究していくのはちょっと大変かもよ」と止めるだろうと思いますが、卒論ですし、いろいろな可能性を広げていくのが大事だと思います。頑張ってください。

 

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・表象を区別する

“ロボット”と“ロボットの表象”の区別について、じつはイベントの序盤で言及されていた。「まずはっきり区別しておきますね、わたしは“ロボットの表象”ではなく“ロボット”の話をしますよ」ということを示すためのスライドがあったのだ。写真を撮っていないので自分で再現するが、こういうシンプルなものだった。

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こうして示されると当たり前に感じるかもしれないが、専門家のいない場所、市井の会話のレベルでは、実物と表象を区別して語られることはあまりない、というかほとんどない。だから、“恋愛するロボット”という言葉が出てきても「それは表象だよね」というツッコミが入ることはなく、「なんかありそうだよね」「そういう時代になってきてるのかなあ」とふんわり認識される。そのふんわりした認識から生じるのが、AIについて語る上司なのだ。蛇足だが、エッチなイラストや映画に怒る人たちも、たいていちゃんと区別していない。彼ら/彼女らは、表象と現実の区別を反省することなく、曖昧なまま語ってしまう。

おそらく、表象をその都度厳しく峻別しながら認識する態度は、実のところ研究に打ち込んだり、メディア論や精神分析、哲学を学んだりを通じてようやく得られるものなのではないかと思う。そしていちど習得すると、区別が曖昧なまま話が進んでいくことに抵抗を覚えるようになる。だからすぐに「それは表象ですよね?」と質したくなってしまうのだ。もちろん世の中には、それをよくわかったうえで、AIの可能性を広げる創作や仕事に打ち込んでいる人も多い。ちょっとオーバーな見出しを書いている人だっておそらくそうだろう(と思いたい)。表象を区別することは重要だが、それは前提であって、その前提のうえで様々な可能性を考えることには意味がある。

 

と、いうわけで。これからもし上司が「AIが上司になったらさ……」などと話す場面に遭遇したら、「それは“表象”ですよね!?」と厳しく攻めて、その場を“本質的”にしてみよう!!

 

わたしは言いませんが……。

 

 

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・追記

トークイベントではわたしも質問しました。いただいた回答がおもしろかったので共有したいと思います。

 

Q. 人と会話するロボットの話を興味深く聞きました。先生からは、会話を文字に起こすと成立しているのに物足りない感じ、なにかが違うと感じさせる要素について、動物を例に様々な説明をいただきました。ただ個人的には、ロボットのぎこちなさは自閉症アスペルガーなど、人間の対人系の障害を思い起こさせるものでした。そのような視点からの研究については関心がおありでしょうか。また、どのようにお考えでしょうか。

 

A. 人間の障害をベースにして、ロボットについて、人間についての理解を深めていく研究はこの業界では比較的王道です。研究するさいは、まずはうまく予算を獲得しなくてはなりません。そうなると、医療の分野に関連する研究は予算を得やすいため、多くの人がその道に進む事情があるのです。しかし個人的にはその方向に疑問を感じるところもあります。もとが医療目的の研究ですから、障害のある人を治して健常者に近づける目的を持つことが多いんですね。しかし、それがほんとうによいことなのだろうか?という疑問があります。実は健常者のほうが障害のある人に合わせるべきなのかもしれませんし、そもそも、健常者のことだってわたしたちはよくわかっていないわけですから。総じて、健常者/障害者の区別を自明としてロボットについて考えていくことには違和感がありますね。

 

小山虎先生、ほんとうにありがとうございました……。

ちょっと宣伝です。イベント会場のajiroという場所は、いろいろな分野の専門家が入れ替わり立ち替わりやってきて、ワンドリンク込み千円という驚きの値段でお話が聞けるたいへん素晴らしい場所です。九州の方は普段づかいに、ご旅行の方も気軽にお立ち寄りください。

 

www.kankanbou.com

 

 

註.文章でそれが伝わると嬉しいのですが、小山虎先生は終始笑顔で、たいへん気さくな方でした。質問にも優しく答えていただきました。

註.質問した大学生の方が、ロボット/表象の区別に無理解だったと指摘する向きはありません(おそらくそうではないと思います)。

註.もともとトークイベントの趣旨はAI/AIの表象 の区別について語るものではなく、それを前提として様々な分野に及ぶものでした。

註.録音していたわけではなく、記憶を頼りに書き起こした文章です。事実と異なる点や、誤りなどがあればご連絡ください。

*1:1973年京都府生まれ。大阪大学人間科学部卒業。大阪大学大学院人間科学研究科を修了。博士(人間科学)。日本学術振興会特別研究員PD(慶應義塾大学文学部)、米国ニュージャージー州立ラトガース大学哲学科客員研究員、大阪大学基礎工学研究科特任助教などを経て、2018年度より山口大学時間学研究所講師。