12月14日の日記

友だちと立ち飲み屋で話していて、DVやモラハラの話題になった。

 

人が感じる精神的な苦痛は、ある特定の場で加害を受けている状態から、“ダブルバインド”の状態におちいることでさらに深刻なものとなる、という話をむかしNHKニュースで見たことがある。
たとえば、学校でいじめられている状態から、それを家庭で相談して「甘えるな、学校へ行け」と非難される状態への移行によって、板挟み(ダブルバインド)になることをここでは想定している。ニュースで流れたのは自殺とダブルバインドの関係についての映像で、そら逃げ出す場所がなくなったら自殺もするわなと思ったことを覚えている。

 

立ち飲み屋でこの話をしながらふと、洗脳や依存のメカニズムもこれに近いかもしれないと思った。というのも、前に友人から聞いた女性の話を思い出したのだ。

その女性は職場で上司からハラスメントを受けていたのだが、上司は、「使えない」「お前のせいで全員が迷惑してる」などと罵って自信を喪失させたあとで、「でもな、俺だけはおまえを絶対に見捨てない」という決め台詞を持ってくる人物だったらしい。
いやこの話、思い出すだけで笑ってしまう。新興宗教やDVなんかの典型的なやり口だから。ただ、その上司は効果的な手法とはっきり自覚して実行していたというよりも、ただ暴力を振るうだけの人間より社会的なため、結果としてわたしたちの目に触れやすいのだろうとなんとなく想像した。そういう悪人は、板挟みの状況を作ったのち、自分のところへ向かう戸口だけを開ける。そのやり方でサバイブしている。

 

もうひとつ思い出したのが『罪と罰』だった。「人間行くところさえあればいいんですよ、行くところがどこもないってのはつらいもんですよ……へ!へ!」と飲んだくれのマルメラードフが語る(うろ覚え)シーンだったが、あんまり飲みの場に合わないので口には出さなかった。

アル中はDVでも宗教でもないがもちろん依存症なのであって、患者から世界を見れば、酒への戸口だけが開かれて仕方なく逃げ込んでいるのかもしれない。アル中の人に言ってはいけないのは「酒やめろ、おまえは甘えてる」系のことだとよく聞くが、そらそうだよな……と勝手に納得する。少なくとも、加害に向かうことなく自傷として依存しているうちはそうだ。

 

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で、帰りにずんずん歩きながら、自分に逃げる先があるかどうか考えていた。歩くうちにコートのポケットでずっとチャリチャリ鳴ってるキーホルダーに気がつき、五つ(!)も鍵がぶらさがっているのでかなり嬉しくなった。持っている鍵の数だけはとりあえず行く先がある。その気になれば四つの場所に立てこもれるし、残りの一つはクロスバイクの鍵だからかなり移動できる。やばい超安心!!!!旅に出ようぜ!!!!