十月の日記・雑記

十月の日記のカットアップです。

 

・人間関係でめちゃめちゃ怒られる

人間関係でめちゃめちゃ怒られている。

怒られながらふと、ミステリアスな人間というのは、人間関係においてある部分では百点をとれるが、他のサスティナブルな部分はぼろぼろなだけの人であって、本人にしてみれば、悪いところを見せまいと普通の政治をしているだけなんじゃないか、ミステリアスさは一次的な性質というよりも、生きるうえで誰もがとる自己防衛の結果にすぎないのではないか、ということを思いつく。

 

世のなかには嘘をついて生きるほうが技巧が必要だと感じるタイプの人と、正直に生きていくほうが技巧的だと感じるタイプの人がいて、後者にとってはほどほどに嘘をついたり、約束を破ったりしないと死んでしまうんだけど、前者にとっては意味がわからないだろうな、、

 

なんかの類型に当てはめるなら、ゴンとキルアみたいな、パラノとスキゾみたいな……(めっちゃ雑だな……)。なんにしても、生きることと逃げることがなかなか一致しないのが大問題なのだという気がする。

 

まあなんかこういう雑記はちょっとした思いつきに遊んでいるだけで、最近とにかくプライベートが大変なのだ……。とにかく怒られていて、とにかく救いがない。つらい。

 

 

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・傘

ふつうの人が傘をさす雨の強さを一として、三くらいまで我慢する人は面倒くさがりで済むけど、十までいっても傘をささないやつは狂人かもしれないと雨の日に突然思った。けっこうな雨なのに、頑として傘をささずに歩くヤク中が目の前を通り過ぎていった。狂っているとバレないように傘をさすという動機がこの世にはありうる。

 

 

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・長い移動 

尾道にて

岡山のフェスへ行くはずが、台風十九号の影響でフェス自体中止になってしまう。空はこんなに晴れているのに、という悔しさで頭がもやもやするが、関東が大変なので仕方がない。せっかく山陽へ来たのだからと尾道まで足をのばす。

 

パン屋や海辺、寺院、坂道を楽しむ。普段の生活からは縁遠い光と景色。船で通学する学ランの子どもたち。トロッコでのぼった山麓には、尾道の景色や鐘の音をテーマにした歌がいくつも張り出されている。それを見ているとちょうど鐘が鳴ったりする。

 

尾道は大名所や箱モノがあるというよりも、もっとpassiveで持続的な魅力のある街なので、いるだけで楽しい。そのなかでなにがいちばん印象的だったかというと、民家の壁に貼りだされたありきたりな観光ポスターだった。

若い女性二人が振り向くシンプルな構図なのだが、何年も日差しにさらされたせいで白っぽく色褪せている。それなのに、インクの関係なのか片方の女性のアイラインだけがくっきりと残っていて、奇妙な印象をあたえるのだ。衣装でも景色でもなく、撮影の朝ちょっと強めに引いたアイラインだけが何年も残って、こうして誰かの網膜のパネルをひっくり返すなんて考えもしなかっただろうなと思った。尾道いろいろ見ておいて、色褪せたポスターかよという気がしないでもないが……。

そのあと電車に乗り込んで京都へ向かう。

 

 

京都の友人宅にて

その夜。日付をまわってから木屋町で友人二人と合流する。久々の再会なのでキャパを越えてビールを飲んでしまう。そのまま友人宅に移動してまた飲む。秋のはじまりだから、七階のベランダで飲むのがめちゃくちゃ気持ちいい。

友人は飲むと気分がよくなって隣のビルに缶やら吸い殻やらを放り投げてしまうのだが、ある朝ふと隣の屋上を見ると、自分の捨てたゴミだらけなことに気づき、下の階から飛びうつって掃除にいったらしい。いちおう宮内庁の土地と隣接していることを知ってニヤニヤする。

 

小山田壮平スピッツカバーやらRubelやらを流しながらベランダで騒いでいたら、隣のベランダから「Shut the fuck up」という女性の声が飛んできたのでソーリーソーリー言いながら部屋に入る。友人がちょっと苦い顔で、また置き手紙しなきゃいけないなと言う。隣のイタリア人とは、問題があるとドアの下から紙を送り合って知らせるそうだ。

話をしながら、一緒にいてほんとうに気が楽だなと思う。モラル、無責任さ、コミュニケーション、なにがインでなにがアウトなのか、諸々の温度感がいちばんちょうどいいし理解できる。明け方まで話し込み、ベッドの端を借りて仮眠をとらせてもらう。

 

二時間後起床するが頭痛がひどく、ふつうに立っていられない。目をぎゅっとつむりながら浴室まで移動する。シャワーを浴びるが水しか出ない。タオルがなく、床もなんだかわからない液体でびしょびしょに濡れている。昨日は涼しかった空気が寒く感じる。そして隣の屋上にはゴミが……。

祭りのあとの空気を吸い込みながら身支度を済ませ、言い訳程度に床を拭く。お礼を言って部屋を出る。

 

 

その朝。烏丸線で本を読みながら座っていると、りんりんと大音量で鈴の音が近づいてくる。顔を上げると知的障害らしい中年の男が目の前を通過していく。そのまま車両の端から端まで移動して、じっと電車の停車を待っている。地下鉄は五条駅に停車する。

隣から「あの人、いつもあそこから降りていくよなあ」という初老の女性の声が聞こえてくる。「いい音色よね。認知症のお父さんに鈴つけてもらおと思っていろいろ探したけど、耳に障る音ばっかりで、なかなかあんな綺麗には鳴らへんよ」ともう一人が答える。しばらく鈴の音色の話をしている。認知症の人に鈴をつける行為も、その鈴の音を美しさではかる感性も自分になかったものなのでちょっと嬉しい。京都駅に着いて、鈴の男と同じドアから下車する。

 

 

 熱海にて

その昼。東海道新幹線で熱海へ。台風十九号の爪痕が心配されるなか、タクシーの運転手から「熱海はなんの被害もないですよ」と聞いて安堵する。たしかに、ひと目見てわかるほどの損害はどこにもなかった。しかし、その後訪れた銭湯では水道管が破裂してお湯が出ないと聞かされる。立ち寄ったロシア料理店の店主は、うちは平気ですが近くから友人が水を分けてもらいにきますと話していた。店を出ると給水のアナウンスが放送されている。表面上は普段どおりの生活でも、ほんの数歩、数十メートル歩くあいだにいろいろな派を通り抜けている。

 

翌日に寄った純喫茶では、熱海はいかにさびれているかという話で店主と常連が盛り上がっていた。あのホテルはいい、あのホテルの飯はひどい、あそこは雨漏りがする、云々。自分たちの泊まっている宿をこっぴどくこき下ろしたあとで、「でもなんか泊まっちゃうのよね!」と話していたので嬉しくなる。笑いがこらえられなくなり、そのへんでお会計してもらって店を出る。

店の外で、服がちょっとタバコくさいことに気づく。店も街全体も、さびれているのと引き換えでいいから喫煙席を守りつづけてほしい。

 

 

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・喫茶店の盗み聞きでわかったこと

①熱海のとあるキャバレーでは、人手不足なのか杖をついたよぼよぼの女性が踊り子として壇上にあがる、しかし壇上に立つと杖は打ち棄てられ、機敏な動きで美しい踊りを披露する。踊りが終わると、なぜかまた杖を曳いている。

 

②熱海でいちばんおすすめのホテルは料理も部屋も素晴らしいが、ベランダでくつろいでいると身投げを見てしまう。身投げがあまりに多いので、そのホテルは一人での宿泊を禁じるようになった。客室には幽霊も出る。

 

③身投げのあと死体が浮いてこない場合は、海へびの餌になっている。

 

 

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・長い移動 その二

鹿児島にて

尾道〜京都〜熱海の翌週、こんどは鹿児島の祖母に顔を見せにいく。友だちからは似合わないと言われるが、車の運転にもすっかり慣れ、日に何百kmでも走れるようになった。昼すぎに福岡を出発して九州道で鹿児島へ。親戚の歓待を受けながら、亡くなった祖父の話を聞く。いまは祖父が亡くなるまえに詠んでいた詩や歌の整理をしているらしい。

 

祖父の過去では、実の両親が最初の敵だった。次男だからと養子に出され、生まれた家を恨んだ祖父は、両親と再会しても決して笑わなかった。出迎えるときは敬礼で迎えた。つぎの敵は不幸な成りゆきだった。彼の京都での学生時代は不本意な途切れ方をしてしまった。新聞社に内定をもらっていたにもかかわらず、養父が倒れ、第二の実家を立て直すために鹿児島の田舎へ戻ってきたのだ。敵が増えるごとに、祖父は暗い底への階段を一歩ずつ降りた。そして酒のみになった。酒のみと同時に文学青年だったから、農業に精をだし、牛の糞を掃除しながら、厩から家の光を見て詩を作った。

認知症になった晩年は、結婚式の直前や、新聞社の人に事情を打ち明ける場面、友人に金を持ち逃げされた日などに突然舞い戻り、何十年も昔のシーンを繰り返した。そのとき近くにいた人は歴史の立会人になるのだ。彼にとって婚約者は自慢だった。新聞社の人には謝り続けていた。友人には赦すと言った。

 

いま布団にくるまってこれを書いているのは三十畳を越える大広間で、もともとは理科室だった。祖父がPTA会長だったとき、取り壊し予定の理科室を職権乱用で移築させたという変てこな歴史がこの部屋にはある。壁をみると、「地域の発展に貢献」とか、なにがしかの会長としてよく働いたという賞状が飾られている。

祖父の人生はちょっとした偶然に左右されて決まったが、新聞記者の夢を諦めても、家族に囲まれ、地元で名士として生きたなら幸せだったのだろうかと考える。いまになってそういうことを聞いてみたい気もするが、もうかなわない。

 

 

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・送られてきた詩

祖父の遺した詩に目を通してみたが、目に留まるような作品はほとんどなく、一族以外にとっては意味のないものだとすぐにわかるような内容だった。それが残念な気もするし、なぜかちょっと嬉しい気もする。