日記・雑記(3) ワンピースってどこがおもしろいの?と聞かれた話

<中学の教室っぽい話がしたい>

最近友達から、「ワンピース好きなの?意外!田舎のヤンキーが好きなイメージしかない。絆とか、友達(ダチ)とか、地元とか言ってる人のイメージしかない」と言われて、いやいやいや、めっちゃおもしろいからね!!!!!とその場で解説する回があった。

 

 

その話をなぜ日記に書くのか。本来自分がTwitterに求めているのは「中学の教室」なのだ*1が、最近のインターネットは、Twitterに限らず政治の不祥事や強姦の無罪判決などで牧歌性が失われており、中学生が昼休みにするような話が圧迫されている気がするから。ということで、特に深い意味はないけど、中学の教室でやってそうな話をします。ワンピースのどこがおもしろいのかという話。

 

 

<ワンピースのどこがおもしろいのか>

 

1/3  世界設定のおもしろさ

ワンピースがどういう漫画なのか、自分流に要約するとこんな感じ。

 

舞台は、警察組織や国家連合を傘下に置く、巨大な権力が統治する世界。現行の権力が覇権を握った七百年ほど前、書物や記録のほとんど残っていない"空白の百年"が存在する。しかし、使命を帯びたある一族が、決して破壊できない石に史実を記録していた。海賊たちはアンチ権力のアイコンとして点在する石碑をめぐり、現代世界の成り立ちを探る。実存的な不安を掘り下げる冒険譚。

 

 

「ワンピースって仲間とか友情とかそういうのでしょ」

というステレオタイプな見方は、実際にある程度そうなので否定しない。ただ、大河ものなので楽しみ方は多様であるし、話の大枠でいくと、隠された世界の成り立ちをめぐる冒険と言ってしまえる。ただ読者の多くは、謎解きのことを普段は意識せずに読んでいるはずで、自分としても、世界の謎をめぐる話だからおもしろいぞと言いたいわけでは全然ない。とにかく話作りがうまいのだと言いたい。

あと、「火影になる」「天下の大将軍になる」系の立身出世ではなく、アナキストの冒険であるところがいい。権力の欺瞞に対してわりと安全に石を投げられるのが心地いいのかもしれない。既成権力での立身出世話は、自分たちが属性として加害者であることについて常に内省を強いられるため、「ずっと戦ってるけど大義名分あるのかな?」という感覚がつきまとうが、ワンピースは、戦いの動機にカラッとした気楽さがある。 

 

 

2/3 ディティールのおもしろさ

ディティールの織り込み方がいい。ひとつの島を例に挙げる。

主人公たちが訪れる島のひとつに、場所の定まらない、特定の海域を周遊する島があらわれる。しかしその島の正体は、海を闊歩する巨大な象なのだ。上陸はおろか、原住民の案内がなければ場所を特定することすら難しい、孤独な島である。そこでは毎朝象が海水をシャワーのように吹き上げて水浴びをし、住民たちはその水分から海産物を得るという奇妙な生活が営まれている。象は水底に足を付けて歩くため、足は異様に細長く、その胴体は雲の上に霞んでいる...。

冒険譚としての楽しみや、いくつものアイディアを感じられる設定だが、じつは元ネタにダリの絵画がある。

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この絵について簡単に解説をすると、強大な力を想起させる象と、ひ弱で細長い足を組み合わせる、さらに宇宙に浮かせる、というやり方で、力を相対化するモチーフらしい*2

ワンピースはこの手の本歌取りによって奥行きを持たせるのが巧みな上に、画力の高さも相まって、ファンタジーとしてとにかく良質なのだ。ちなみに作中では、非常時に一瞬だけ象と意思疎通をはかる場面がある。そこで象は「命令されて」「罰として」海を歩き続けていると自己紹介する。誰が命じたのか、どんな罰なのかはこれからの展開に期待、という感じ。

加えて、ワンピースの見所は、どんなにイマジナリーな場所でも、その島の地理はかくかくで、産業はこれで、どんな風に経済が成り立っていて、こんな食文化や生態系がある、という暮らし向きを毎度細やかに紹介するところにある。言うなれば、観光編をきちっとやる。そこが素晴らしい。だいたいファンタジーなんて、「こんな場所もあるのかも」と説得されるために読んでいるようなものなんだから。オベリスクを乗せたダリの象が海を回遊する、象は太古に受けた罰によって歩き続けている、そういう荒唐無稽なアイディアを、絵と話の作り込みで魅せる。

 

 

3/3 アイデンティティの描写

最近は物語が終盤に近づき、世界の一角を担う強大な海賊が出てくるのだが、世界最高峰のその海賊団は、船長を務めるひとりの母親と、その子供たちで形成された血縁集団である。

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強大すぎる母親の生命力を受け継いだせいか、子供たちには奇形が多い。三つ眼、口裂け、多頭、首長、ツノ付き、巨人、書き連ねると百鬼夜行のよう。彼らは殺しや拷問も厭わないギャング集団でありながら、幼少期に見た目を笑われた経験までさかのぼってコンプレックスがあるため、繊細な一面を隠した敵としてあらわれる。

三つ眼の女は、愛のない政略結婚として嫁入りするはずが、前髪で隠した最後の眼を「なんて綺麗な瞳なんだ!」と認められたことで、花婿に惚れてしまい、計画に狂いが生じる。口裂け男は、身内にも裂けた口元をひた隠しにしているが、激しい戦いの最中でそれが露わになる。主人公は、敗北し横たわった彼の口元に帽子をかぶせて去ることで敬意を示す。誰もが知るように、帽子は主人公ルフィのアイデンティティを示すものであり、裂けた口元と帽子の重なりには並々ならぬ重みがある…。

主人公一行は正面衝突ではまず勝ち目がないのだが、異形の者たちが抱えたコンプレックスにどう触れるか、という一点によって、すんでのところで命を救われるのだ*3。少数者のアイデンティティ描写については、挙げだすとキリがないくらい、作者がテーマとしている問題である*4

 

だいたいはこんなところ。どうだろうか?この紹介によって、読んだことのない人が興味を持ってくれる、あるいは、もう読んでいる人が何かを再発見したり、ほんとそれな〜と言ってくれれたりすると嬉しいです。中学の教室みたいな気軽さで。

 

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追記

しかし考えてみると、ジャンプ漫画の話がしたいしたいと言いつつ、ではわざわざ友達に電話をかけるかというと、そこまでの事柄でもないから不思議である。ジャンプの話は、話すべき用件というよりも、朝から晩まで同じ友人と顔を合わせて、用件が全て終わった、コミュニケーションが飽和した空間に析出する類のものなのだ。思えば中学の教室はそういう場所だった(よね?)。今は友人たちと顔を合わせても、仕事や家族、生活の話が上に来るのであって、なかば惰性で読んでいるジャンプ漫画の話になるまで、何もかも”話し終えて”しまうことはほとんどない。

「中学の教室」という概念を紐解いて、あの時間の何が特別だったのか考えてみると、話すべき物事に対し、話す時間が膨大にあったことに思い当たる。そのせいで、空気が抱えきれなくなった水滴が結露して現れるように、誰かと話をしていた。次の日には残らないような話を。

ところで、話が尽きたあとのグルーヴというと、中学の教室に限らず、同棲生活や深夜のラジオなんかを思い出す。あの程よい湿度を求める感覚は普遍的なのかもしれない。いやはや、最初はジャンプの話だったのに、いまいち関係なさそうなところまで来てしまった…。

 

*1:もともとTwitter @osicoman の発言。

*2:この説明はググって出てきたのを貼っただけ。

*3:そういう善悪の公正仮説でいくとちょっとつまらないが、残酷物語だとここまでは売れないのでやむなし。

*4:あと、昔から思っていることを書いておきたいのだが、ワンピースで描かれるLGBTには陽気なオカマしかおらず、差別的・画一的なので変えたほうがいい。