12月6日の日記

・12月6日は◯◯さんの誕生日です。

何年もまえのこと。人の記号的なプロフィール集積に関心があり、友人、知人の誕生日をまめにiPhoneのアドレス帳に記入する習慣があった。あれからiPhoneも変わった、住む場所も付き合う人も変わったのに、種々のケーブルやクラウドを経由して、ときには顔も思い出せない人たちの誕生日が生きのびて手元に残っている。

彼ら/彼女らの誕生日は、前日になるとポップアップとしてmacのディスプレイの右上にあらわれる。いまも付き合いのある友人だと「おめでとう!よい一年を」くらいのメッセージを送ることもあるのだが、ときおり、「すごい!よく覚えてくれてるね!」という驚きが返ってくる。そのたびに思う。これは“覚えている”うちに入るのだろうか?

 

目の悪い人が眼鏡に頼るのと同じように、忘れっぽい自分は様々なリマインド機能に頼っている。リマインドは間違いなく仕事に欠かせないツールだが、日々の些事はどんどん流れてゆき、リマインドなしではほとんど掘り出せなくなるのが常である。

では、“リマインドで思い出す”と、“覚えている”の差はなんなのだろうか?と考える。答えに近づけそうな本を何冊か思い出せる気がするので、帰ったら本棚を探してみよう……。

ここまで書いて、ベンヤミンが「機械は忘れる機能を持っていない以上、本質的になにかを記憶しているわけではない」とどこかで言っていたことを思い出す。

 

(昼前の通勤列車にて) 

 

 

= = = = =

 

バウハウス的なはさみの入れ方について

ロンドン在住のグラフィックアーティストが、行政の招へいでレジデンシャルとして九州に滞在している。諸々の条件があえば自分の働く書店でも展示をしてもらえないかと連絡をとってみたが、スケジュールが合わず今回は断念した。ただ、書店は見てみたいとのことで、友人とともに書店を訪ねてくれた。昼休みを使ってかれらに店内を案内をしたときの走り書き。

 

拙い英語でやりとりをする。友人として付き添っている美容師の男性がときどき通訳をしてくれるのがありがたい。途中からアーティストのエラ氏が業務連絡やら飛行機の確認やらでiPhoneをチェックしはじめたので、友人のほうと話し込む。福岡出身で、ロンドンに十年住んでいたという彼は、美容師として働き、向こうで芸術も学んで帰ってきたという。店内の棚をザッピングしながらバウハウスの本を見つけると、ごく軽くだがバウハウスと、土地と、ヨーロッパにおける自身の関心事について話をした。

そのとき、突然自分を恥じる感覚が起きた。わたしにとってはほとんどメンテナンスでしかなかった散髪という行為に、じつはもっと上のレベルが隠されていたことを直感した。新たな器官が生じ、なんかこうアレな感じで感覚が拡張した。

ともすればお客の要望にどれだけ応えられるかの満足度や、技術的な範囲でのみ評価される美容師だが、もとより彼らは芸術家なのだ。美容院での楽しみといえば、いままでは差し出された専門技術を信じ、よく分からない手の動きから物事が生み出されることへの期待を楽しむくらいだったが、それだけに収まるものではない。

 

たぶんこういうレベルがある、ここにはさみを入れるか入れないかでモードの二十年代と三十年代を行き来できるんです、とか、ここはあえて残すことで別のパートと関連が生まれて、かくかくの機能が生じるんです、とか。想像でしかないけど。そしてそこまで考えてはさみを入れられる、芸術的で知的な美容師はほとんどいない。

 

もう少し話していたかったが、昼休みが終わりつつあるので店を出る。名刺を受け取る。次に髪を切ってもらうなら彼がいい。

 

もしもそのような、知的で、洗練され、芸術に造詣の深い美容師に担当してもらった場合、その力をじゅうぶんに発揮してもらうためにはどう振る舞うべきか。とりあえずは、

・適正な料金を払うこと。惜しまないこと。

・注意深く話を聞くこと。

・相談はしてもよいが、オーダーはしないこと。

 

メモ。取り急ぎ。