マジのガチで誠実なフェミニズム入門(あるいはリベラル批判)

 

* 記事を書いたきっかけ・序文(1/7)

 

この記事を書くきっかけとなったのは、フォロワーのこんなツイートだった。

 

フェミニズムと、表現規制反対って同居出来んのかな?矛盾した主張になるのかな?

 

原文まま。目に入ってすぐ、「同居できるよ!当たり前だよ!」そう言いたくなったが、特に知識がない状態でSNSを見ていると、自称フェミニストの過激な発言ばかりがクローズアップされ、フェミニストのことを表現規制の代弁者だと勘違いしてしまうのかもしれない。それは完全に間違っているのだが……。

 

社会や政治、ジェンダー、エロ、アカデミア等々、インターネットでは日々新たな論争が起きている。その端々を見ていて毎回目に余るのが、自分の気に入らない陣営から一番レベルが低い発言を引っ張ってきて、「こんなとんでもないことを言ってるぞ、やっぱり敵は卑劣な集団だ」と宣伝し合うあの晒し合いである。本当に意味がない。生産性がない。

この記事では、槍玉に上がりやすい誤解や過激な発言について、具体的なログを掲載しないまま話を進めていく。そこには、不毛な晒し合いに加担しない、燃料を投下しない、という意図がある。

 

もしあなたが、天皇制や軍事を重視する保守派なんて低レベルなネトウヨだけだと考えているなら、それは程度の低い言説ばかりを拡大して見てきたことを意味する。反対に、リベラルと呼ばれる人々について、何もかもに反対するクレーマー、あるいは韓国や中国の支援者だと感じているなら同じことだ。

フェミニズムについても似たような状況がある。女のわがまま、男性差別、あるいは表現規制の代弁者......フェミニズムが極端にネガティブなイメージを背負わされているとすれば、その裏側には女性蔑視を振りまく人々の戦略がある。

 

 

本記事では、こんな読者を想定している。

  • フェミニズム表現規制等について、自分の中にはっきりとした価値観が形成されないまま、偶然目にした差別に心を痛めたり、過激な主張をする自称フェミニスト(いわゆるツイフェミ)に面食らったり、という体験を繰り返しているSNSユーザー。
  • 「夫(彼氏)や上司の発言、社会の仕組みに何だかモヤモヤしたものを感じるが、どう反論すればいいのか分からない。フェミニズムについてはよく知らないが、私の助けになるかもしれないから知識を広げたい」という女性たち。

 

このような読者の判断を助けることができればたいへん嬉しく思う。また、不毛な論争に巻き込まれたときに、URLを貼れば少しはマシな議論に引っ張りあげられるような記事を目指している(ごく基本的なことしか書いていないが)。

さて、前置きはここまでにして、フェミニズムについて、表現の自由について(後日公開)取り上げていく。

 

 

* フェミニズムってそもそもなに?(2/7) 

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ダービーのコースに身を投げたエミリー・デービソン

まず断っておかなければならないのが、フェミニズムとひと口に言っても内実は多様なものだということ。問いをひとつ放り込めば、解答をひとつ返す簡単なプログラムではない。

フェミニズムの前身には参政権運動が中心の女性運動があり、その起源は百年以上前に遡る。欧米を中心に、二十世紀の初頭から参政権を徐々に獲得したあとで、一九六〇年代に女性解放運動(ウィメンズ・リベレーション、略してウーマンリブ)運動が起こる。フェミニズムという呼称が定着したのはこの頃である。

かなり大雑把ではあるが、この記事では、フェミニズムにおける重要なポイントを二点に集約させて解説する。

 

(a) 女性の社会進出、社会における地位向上
(b) 男性中心の社会そのものに対する懐疑、批判

 

(a)は、一般的にリベラル・フェミニズムと呼ばれるもので、フェミニズムと聞けば多くの人がイメージする現在の主流派である。男女平等という理念の実質的な定着を目指し、法律や政治の改革、教育等に努める。

(b)は、ラディカル・フェミニズムのエッセンスといえる理念である。ここで言う"ラディカル"は、"過激な"ではなく"根源的な"と取ってもらいたい*1。(a)とは違い、こちらは女性が参政権を獲得し、労働市場にも進出したあとにスタート地点をもつ。つまり、制度上の不平等を解消したはずなのに、いまだに不当な差別が残っているのはなぜだろう?という問いが核になっている。


(a)のリベラル・フェミニズムは理解しやすい。「政治もお金も決定権も、男だけが独占しているのはおかしいんじゃない?」という問いかけは、多くの人にとって正当なものだからだ。運動としても、間接民主制を通して政治、法律を変えて、女性の地位を向上させようという内容なのですんなり受け入れられる。

ただしリベラル・フェミニズムは、参政権や決定権、お金等々、すでに存在している社会的な特権をどんな風に配分するかを問題にするので、社会の構造そのものを疑う、あるいは社会を大きく変える射程を持ち合わせていない。じっさい、制度上の平等を得てもーー参政権を獲得しても、男女雇用機会均等法男女共同参画社会基本法を作って思想を制度の上に流し込んでみてもーー歴然と女性が不利な状況は変わっていない。そこで(b)のラディカル・フェミニズムが登場するのだ。

では、社会の構造を疑うフェミニズムとはいったいどんなものだろうか。

 

もう片面のフェミニズムとは?(3/7)

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ここで最近話題のkutoo運動を取り上げ、(b)のフェミニズムが一体どんな思想なのかを解説したい。

私はいつか女性が仕事でヒールやパンプスを履かなきゃいけないという風習をなくしたいと思ってるの。
専門の時ホテルに泊まり込みで1ヶ月バイトしたのだけどパンプスで足がもうダメで、専門もやめた。なんで足怪我しながら仕事しなきゃいけないんだろう、男の人はぺたんこぐつなのに。

引用元*2twitter: @ishikawa_yumi

 

はじまりは今年の一月、石川優実氏のこんなツイートだった。どうして足を痛めてまでハイヒールを履くのがマナーなの?という苛立ちは多くの女性たちが抱えてきたものである。metooに倣ってkutooと名付けられたその運動は大きな支持を獲得し、二万人近い署名を集めることとなった。しかし、署名に対し厚生労働省が示した公式見解は、事務的で殺風景なものだった。具体的な文言は以下。

 

女性にハイヒールやパンプスを強制する職場があることに関し、根本匠厚生労働相は5日の衆院厚労委員会で「社会通念に照らして業務上必要かつ相当な範囲かと思います」と述べた。*3

 

思わず脱力してしまう回答である。落ち込んだり、怒りを覚えたりしたあとでいい。この現状をどのように変えればいいか、考えてみよう。前述の(a)、リベラル・フェミニズムが示す方向はおそらくこのようなものだ。

由々しき事態ですが、物事を少しずつでも変えていきましょう、あんな風に差別的で、著しく合理性の低いことを言うおじさんを丁寧に説得しましょう。まずは間接民主主義で代表を立て、選挙を戦い抜き、徐々に女性の声を反映させてゆきましょう、云々。

この涙ぐましく、気の遠くなるような努力はおそらく生存戦略として正しい。というか、大臣の紋切りを借りるなら、“社会通念”上の問題が少ない。

つまり、署名を集めて提出したり、デモをやったり、仲間を募ってみんなでペタ靴出勤したり、あるいは「ワシの答えはこれや」と火炎瓶を投げたりするより穏当な方法である。
だが、穏当なやり方、ルールに則ったやり方で現状を変えたくても、現行のルールが作られるプロセスに女性はいなかったし、変える場にも女性が参入しづらい。そのために女性を軽視した制度が再生産されていく。
その意味で、大臣の答弁はこんな風に書き下すこともできる。「署名なんか持ってこられても強制力はない、言いたいこと、実現したいことがあるならルールを守って、社会通念に則って主張してくれ」という制度からの解答である。

では、その制度に対し、こんな風に言い返すのはおかしなことだろうか?

「あなたがたの作りあげてきたこのルールが、社会通念がそもそもおかしいのだ。しかも、それを変えられるだけの地位に女性を送り込むことがいまだに難しい。だからわたしたちはルールや社会通念そのものを疑っているし、その外からの抗議も辞さないのだ」と。

 

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香港のデモの様子。CNNより。

 

余談だが、六月に勃発した香港のデモは、制度の外側から物事を動かそうとする好例(実際に結果を変えられるかはまだ分からないが)である。

ああいうことが起きると必ず、「デモも暴力もよくないだろ、言いたいことがあるならルールを守れよ」と言う人々があらわれるが、そのようにモラリストを擬態するのは、第一に強者たちだ。現行の社会通念が自身の利害に合致しているので、変える必要を感じない人たち。彼ら/彼女らの「ルールを守れ」は、要するに「いまの制度で得しているから変わってほしくない」の言い換えである。

第二に、もっとずっと面倒なのは、ルールや制度を変えた方が自分たちにとっては得なのに、変える運動には絶対反対、という人たちだ。いったいどういうことだろうか。ここで想定しているのは、制度の抑圧に耐えているからこそ、強いられた枷から外れた他人を罰してしまう人である。

従順であれ。空気を読め。男らしくあれ。若いころの苦労は買ってでもすべし。様々な社会通念、ルールで抑圧されている人々は、そのおかしさに内心では気づいている。だが、苦しみながらそれに耐えているからこそ、我慢をやめた人々を見ると「そのくらい我慢できないようじゃ駄目だ」と、自身の助けにもなりうる意見を退けてしまうのだ。それは今まで自分が耐えてきた時間が無意味だと言われることへの恐れ、何を信じてよいか分からないという不安のあらわれで、利害や論理を超えた拒否反応である。

制度が変わると得をするのに、いまの制度を支持してしまう人たち。これ以上深入りはしないが、世の中を変える上でいつも立ちはだかる障壁がここにある。

 

 

ラディカルなジェンダー論(4/7)

 

閑話休題。今年の年度はじめ、上野千鶴子氏が東大の入学式の壇上に立ったことは記憶に新しい。

www.u-tokyo.ac.jp

 

すばらしい祝辞*4に勇気づけられる一方、ふだん"リベラル"と呼ばれる人々が彼女へ喝采を送る光景にはやや皮肉めいたものを感じる。

なぜかというと、上野千鶴子氏は、選択的夫婦別姓には反対*5であるし、同性婚も応援していないし、パックス制*6のようなパートナーシップ制度にも反対、そもそも結婚制度を批判していて、信頼できる知人が出たとき以外は選挙に行かない、と公言している人だからだ。

 

それぞれの主張に確固たる理由、信念があるのだが、こんな風に聞けば、"まともで教養ある"人々は驚くだろう。「なんで?フェミニストなら、というかまともな人なら、同性婚にも夫婦別姓にも賛成するものじゃないの?それに、選挙へ行かないってどんな理由でもアウトじゃないの!?」と。

しかも上野千鶴子氏は、こんな風に困惑するリベラルに冷や水を浴びせて楽しんでいる節があり、いっそう話がややこしい。かつて、「嫌いなものはなんですか?」という問いに、「結婚しているフェミニスト」と挑発的な回答をぶつけて炎上したこともあるくらい。もう少し噛み砕いて説明すると、こうしたアジテーションの裏には、

国家権力が婚姻という制度で異性愛カップルだけに社会的・経済的な特権を与え、個人のセクシュアリティを管理すること自体に反対。生涯一人の人と添い遂げます、他の人と交際もしません、というカップルは趣味でやればよい。ただ、そんなロマンティック・ラブ・イデオロギーは本質的なものではなく、歴史的にはごく最近構築された人工物に過ぎない。同性婚もパックス制も、異性愛カップルというモデルを標準化して、他を無理やり合流させる制度なので反対。

という主張があり、そこまで聞けば、賛成か反対かに関わらず、要旨の理解はできるのではないだろうか。

 "差別"や"男女平等"という概念を、平凡なリベラリズム的方程式に放り込むと「差別をなくそう」「平等を目指そう」を導くのかもしれないが、根本的なフェミニズムはもっと複雑な回答を返してくる。おおよそこんなところ。

 

「差別って言うけど差異って何から生じるの?男女って概念がもう社会的な人工物だよね。平等は何における平等?社会的なリソースにおける平等だとしたら、平等という概念自体が社会〜国家権力に包摂されているから、権力の歴史を紐解くところから始めないと……。」

  

 

性と社会について(5/7)

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千葉雅也氏。文春オンラインより。

ジェンダー論へ話がスライドしていくが、性と社会の関係でいえば、近年同性婚が大きなイシューとなっている。この辺については、千葉雅也氏の発言が示唆に富んでいるのでいくつか引用しておく。

哲学者であり、同性愛について当事者として語る彼は、「同性婚よりもパートナーシップ制度の方が望ましい」という旨の発言を繰り返している。

日本で同性婚がどうなるかはわからない、天皇制があるからね、という話もあった。ならむしろ、その制約があるからこそ、同性関係は婚姻じゃなくパックスみたいな方向に持っていけるかもしれない。浅田さんも僕も結婚制度自体を批判している。

引用元*7twitter: @masayachiba

当事者だからとくに同性婚のことを言ってるけど、言いたいのは、セクシャリティを問わず、婚姻というものと国家や資本主義や道徳との関係は様々に問題含みだということです。

引用元*8twitter: @masayachiba

 

少し脱線するが、もしあなたが、まともで教養ある人間であれば同性婚夫婦別姓を支持するのは当然だと感じていて、多数派ではないにせよこのような意見に面食らうのだとしたら、物事の半面しか見ていないと言わざるを得ない。

かつてトニ・モリスンは、「あまりに多くの運動や団体が、計算づくで黒人を仲間にしたいと申し出、最後には黒人を足蹴にしてきた」と語ったが、今やその座にはLGBTが加えられ、諸々の運動を正当化するために駆り出されている。

いま、同性婚は政治対立の表面的な道具にされていると思う。政権側においても、政権批判側においても。本来の、同性愛者がいかに豊かに生きるかという問題から実は離れたところでこのイシューが政治的踏み絵みたいにされているということに、腹が立ちます。

引用元*9twitter: @masayachiba

 

一応断っておくと、婚姻制度そのものを批判するのはフェミニズムジェンダーの論者のなかでも少数派である。ただ、セクシュアリティジェンダーについて掘り下げていくと、ある程度当然の帰結としてこのような見解が出てくることは示しておきたい。

 

しかし、友人たちとの関わりのなかで「同性婚反対の当事者もいるよ」と言うと、それだけで差別主義者だと誤解されることも多い。そう判断する人の頭には、同性婚に賛成しないやつ=ただのホモフォビアで、無理やり反対の論拠を作っている、という等式が浮かんでいるのだろう(じっさい九割はそうなのかもしれないが)。

また、せっかくマイノリティで共闘しようとしてるのに水を差すなよ、と言う人もあらわれる。実際にそう言うノンケを見てびっくりしたこともある。

しかし、マイノリティとはたんに"マジョリティでない"だけの括りであることを忘れないでほしい。積極的な共通点などなにもない、ごちゃ混ぜの集団なのだ。だからこそ、マイノリティが連帯して巨悪を(自民党を?)倒すなんていう絵空事を見かけると、マーベル映画の観すぎではないかと思う。

 

参院選が近いので選挙についてもちらっと意見を書いておくと、各々勝手にやって、まあ希望が通ればいいけど、くらいの気持ちでいるのが健康的ではないだろうか。あの知識人は選挙に行かなかったらしい、野党共闘を邪魔しているらしい、あいつはもうダメだ、みたいな魔女狩りはやめましょう。民主主義や選挙に誰も彼もが希望を持っているわけではない。

自分はというと、いちおう選挙は行くし自民党に入れるつもりもないのだが、投票しながら毎回、選択肢のなさに唖然としている*10

 

 

 

身近なレベル1の質疑応答(6/7)

 

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田村由美『ミステリと言う勿れ』の一ページ。

フェミニズムについて、「女性の社会進出を訴えつつ、社会の構造に懐疑的であること」と序盤で定義したが、世間的な反感を思えば、フェミニストを自称するのはなかなか勇気がいることではないだろうか(自称すべきだと思っているわけではない)。この章では、なぜフェミニストを名乗るのは勇気がいるのか、世間的な反感とはそもそもなんなのか、わかりやすく説明していきたい。典型的な発言をふたつ取り上げる。

 

例. 「モテる女(いい女/美人)はフェミとかセクハラとか言わない、フェミニズムはモテない女(うるさい女/ブス)の僻み」

 

こういう発言は、その人が話しているというより、制度そのものが誰かの口を借りて喋っているのだと思った方がいい。話者は制度のプログラム通りに動く単純なbot

発言の背景には、女の価値は「モテる=男に選ばれる」ことで完成するもの、仮に仕事で成果を挙げ、悠々自適に趣味を楽しんでいても、男に選ばれなければ女としては二流だ、という価値観がある*11。正確には、二流であってほしい、男が女の価値を決定権を握っておきたい、というところか。

女性たちはこれまで、法律や政治など社会の枠組みを作る中枢に携わろうとしても、その社会の枠組みそのものが女性排除を含んでいるせいでなかなか近づくことができなかった。そして中枢に近づくほど、かわいげがない・女らしくないなどの言葉で、女として扱われなくなっていった。その歴史を思えば、「フェミニストはかわいくない」と言う人は、「かわいくて女らしい」=「従属的で男の利益に適う」女性、すなわち自分にとって都合のいい女性像を推しているだけである。

なので、「モテる女はフェミとかセクハラとか言わない」に対する返答は、「あなたにモテなくていいのでほっといてください」。

 

 

例. 「私は女だけど、セクハラとかフェミとかうるさく言い出したら仕事にならない」

 

これも制度そのもの。「女は妊娠・出産で休むし、生理で体調にムラが出るし、感情的だし下ネタも嫌がるから仲間に入れたくないけど、お前は(男と同じように扱えるから)別だよ」という態度のもとに迎え入れられた女性のことを名誉男性という。

名誉男性は、うまく差別の構造に組み入れられ、他の女性と一線を画す立場で得をしていると考えられるので、この手の発言は、自身の利益を守り、差別の構造を再生産するポジショントークである。

kutoo運動に際しても、「職場の美人は(あるいは美人なわたしは)ハイヒールを美しく履きこなしている、それができないブスたちが騒いでいる」系のツイートをいくつか見かけた。

ちなみに黒人差別・奴隷制が当たり前だったアメリカの農場では、「黒人の使用人どもはまったく信用ならない、けどお前だけは別だよ」という語り口で名誉職をもうけ、他の黒人を監督させるのは常套手段だった。とにかく普遍的なやり口なのだ。手を替え品を替え差別の再生産をやっている。

そんなこんなで、「私は女だけど、セクハラとかフェミとかうるさく言い出したら仕事にならない」に対する適当な返答は、

「(恋人の有無とか下ネタとか、セクハラ的な内容をわざわざ話さなくても仕事はできるんだけど、大抵の女が嫌がることを嫌がりませんという態度を武器にこの人は男社会をサバイブしてきたから、こういうポジショントークが出るんだろうな。それか、セクハラに耐えるのがしんどいあまり、そこに意味を見出して、セクハラに耐えてこそ社会人!耐えられないのは二流!みたいな規範を内面化しちゃってるのかも。本人も内心つらかったりして。まあ本当のとこは分かんないし深入りせんとこ。)………そうすか!!」

こんな感じではないか。括弧内は、よほど信頼関係がないかぎり言わない方がいい気がする。他人を改宗させるのは大変で、無作法になってしまうことも多い。

 

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おおよそこんな相場感。フェミニズムにつけられる難癖の大半は、制度のプログラムどおりに作動するbot的発言、あるいは利害計算のエラーなので、世間なんてその程度だと思っておけばいい。気の持ちようひとつで解放されるほど簡単なものでもないが…。

また、いま挙げたような単純な敵意の発露とはまた違う、素朴な疑問があらわれることもある。
ジェンダーをあれこれ論じたところで、セックスは強固にあるじゃん、性器や染色体ではっきり区別できる→*12

「男と女はそもそも体の構造が違うんだから、全てを平等にしろってのはおかしいんじゃない?→*13

例えばこんな。ただ、フェミニズム現代思想と結びつき、様々な理論を練り上げてきた歴史があり、こういうレベル1の発言に対する応答は何億回もやってきている。だから誰かがその場で思い付いた批判や矛盾の指摘がクリティカルに作用することはありえない。これは明確に権威主義だが、素朴な疑問に対する答えが欲しいなら勉強するしかない。

 

この記事の誠実さは、フェミニズムについて「女性の社会的地位向上です」という聞こえのいい片面だけを言って終わるのではなく、「社会の根本を疑う射程がある」という裏面まできちんと語るところにある。読者の足場を揺るがせ、疑心暗鬼にさせることを目標としている。

なぜならフェミニズムは(というか哲学や思想は)、どう生きていけばいいのか道筋を教えてくれるようなものではないからだ。偏見や思い込みを次々に打ち砕き、荒野に放り出すものだからだ。

新しいことを知る、あるいは勉強するという行為は、それまで当たり前に頼っていた自分の中のプログラムにたどりつき、自らのコードを書き換えていく行為である。しかし、書き換えるためにはなにをすればよいのだろうか?どんなことを知ればよいのだろうか?最後の章でその問いに応えておきたい。

 

 

読書ガイド(7/7)

 

話がずいぶん遠くまで来てしまったが、冒頭で想定していたのはこんな読者たちだった。

 

  • フェミニズム表現規制等について、自分の中にはっきりとした価値観が形成されないまま、偶然目にした差別に心を痛めたり、過激な主張をする自称フェミニスト(いわゆるツイフェミ)に面食らったり、という体験を繰り返しているSNSユーザー。
  • 「夫(彼氏)や上司の発言、社会の仕組みに何だかモヤモヤしたものを感じるが、どう反論すればいいのか分からない。フェミニズムについてはよく知らないが、私の助けになるかもしれないから知識を広げたい」という女性たち。

 

 

わたしが「こんな読者の助けになりたい」と感じている人たちである。しかし現状では、こんなふうに「フェミニズムってどんなものだろう?」と素朴な疑問を抱く人たちに門戸が開かれているとは言いがたい。

フェミニズム入門本はありそうでなかなかないし、入門に適した本が『フェミニズム入門』という探しやすいタイトルで棚に書店の棚に収まっていることはまずない。

上野千鶴子氏が「統計的に"フェミニズム"がタイトルに入ると売れない」「統計的に見て女は本を買わないし読まない」という話をしていたが、そのような事情も関係しているのかもしれない。 

内容的にはここで、ロクサーヌ・ゲイの『バッド・フェミニスト』──「フェミニズムの歴史を実はよく知らないし、男は好きだしピンクも好き、そんな自分でもフェミニストとして生きていく」というエッセイ──を挙げられればよかったのかもしれないが、翻訳がとんでもなくひどい(あまりにひどくて出版社にメールした)のでお薦めしない。

本記事では、入門に最適な本として二冊、+αでもう二冊を挙げておく。

  

82年生まれ、キム・ジヨン (単行本)

82年生まれ、キム・ジヨン (単行本)

話題の韓国文学。韓国では百万部以上(!)を売り上げ、ここ日本でも、海外文学としては異例の大ヒットを記録している本である。身の回りの女の子たちが口々に「涙なしに読めない場面がいくつもあった」という切実な感想を伝えてくれている。斬新さや実験的な試みがあるわけではない。だが、「今までうまく言えなかったモヤモヤを言葉にしてくれている」という意味で、多くの女性にとってこれ以上ない入門書ではないかと思う。

 

女ぎらい (朝日文庫)

女ぎらい (朝日文庫)

フェミニズム入門としても、上野千鶴子入門としても最適な本。男たちの部活的でホモソーシャルなノリについて、婚姻制度の歴史について、男の値打ちがなにで決まる(ことになっている)かというと、何よりも男からの評価であり、もし女からの評価を得たければ、地位や名誉、富などをめぐる男の間での覇権ゲームに勝ち抜くことが一番の王道である。女はあとから自動的についてくる──という旧来の価値観について、明快に解説してくれる本である。扱うトピックが幅広く、学術的な背景についてもわかりやすいタッチで示してくれる。最近文庫化したので財布にも優しい。

 

実践するフェミニズム

実践するフェミニズム

時代性やアクセスのしやすさでいえば一段落ちるものの、牟田和恵氏の『実践するフェミニズム』も親切でバランスのいい良書なのでお薦めできる。セクハラに悩まされている人には特に推したい。

 

フェミニズム (思考のフロンティア)

フェミニズム (思考のフロンティア)

もっと専門的な思想的背景が知りたいという人は、岩波から出ている竹村和子氏の『フェミニズム』を薦めたい。ただ、読むためにはラカンフーコー、バトラーなどの現代思想についてある程度知っておく必要があるうえ、それらを"知っておく"ためだけに、現代思想の入門からなにから数十冊読まなくてはならないのでぐっとハードルが上がる。

もっとポップで負荷の少ない読書としては、上野千鶴子の対談本がどれも易しくておもしろいので、そういう景色が楽しい裾野を進んでいくのがいいかもしれない。

 

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自身の体験に照らせば、フェミニズムにまつわる読書の面白さは、幻想が次々と打ち砕かれていくところにあった。何よりもショッキングだったのは、一夫一妻・夫婦は愛によって結ばれる・浮気は厳禁という考え方は今でこそ一般的だが、歴史を辿ればごく限られた地域と階級の嗜好に過ぎず、せいぜい二世紀しか歴史がない*14ことだ。

他にも、レイプは性欲を制御できずにやるものだとか、自慰はモテない男のやることでセックスの回数とトレードオフだとか…。ページを繰るごとに、今まで当たり前だと思ってきた、というか、意識すらしていなかった前提が崩れていく。根源的だと感じてきたもの、たとえば異性愛や母性のようなものですら、特定の制度を前提にして作動するものだという知見を得る。おもしろい反面、足元が揺らぐおそろしさがある。

そのように歴史やデータを紐解いていくと、制度や社会構造にとどまらず、日常的な皮膚感覚に至るまでが男性的な権力を反映していて、男性によって記述され、男性にとって都合のいいように作り変えられてきたことが少しずつ分かってくる。しかし、これは男に悪意があるという話ではないし、男vs女という構図を作りたいわけでもない。社会の居場所として与えられる"女"とは、翻って”男”とは一体なんなのか、立ち止まって考え直してみませんか、と疑問を投げかけるのがフェミニズムである。

 

= = = = =

 

最後に。いまはフェミニズムというと低レベルな差別発言だの表現規制だの痴漢冤罪だのが踏み絵にされることが多く、仮想敵は素朴な女嫌い、あるいは昭和のクソジジイ的なものが多い。ただ個人的には、今後の仮想敵はそんなイージーな保守(?)ではないと常々感じている。

個人的な未来予想だが、この先十年、二十年で、小泉進次郎、落合陽一的なものが政治の中心に進出する、AIによる合理化や最適化を推進する、末端ではAI活用と言いつつ、社会的に構築されたものを本質論のように語りはじめる、男の方が出世しやすい=男の方が優秀だとAIが判定しました、という連中も出てくる、合理化を進めていくと、妊娠出産は労働においてハンディなので、男は働き女は家を守るという旧来の体制には一定の合理性がある、などの論理で身分制を固めようとする…という流れを想像している。

冒頭で書いたように、インターネットでは、論理的にワンパンで終わる、簡単に叩けるネトウヨ的なものばかりが拡大されがちだが、本当の仮装敵がいるとすればネオリベであり、過度な合理性の追求であり、そこから生じる身分制ではないだろうか。

 

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追記

次回は表現規制について書くので、興味のある方はお楽しみに。フェミニズム表現規制という誤解されがちな点について書くつもりでいます。書けたらtwitterでお知らせします。→@leoleonni

*1:wikiを見ると、ラディカル・フェミニズムの端的な特徴としてポルノ規制が取り上げられているが、今まで牟田和恵や上野千鶴子で読んできたラディカル・フェミニズム像とは全く違う。wikiが偏っているのか、今まで読んできた著者が偏っているのかよく分からないので、詳しい人は教えてください。

*2:https://twitter.com/ishikawa_yumi/status/1088410213105917952

*3:パンプス着用、社会通念で 厚労相、容認とも取れる発言 / 答弁の前後で、「当該指示が業務上必要かつ相当な範囲を超えているかどうかがポイント。例えば足をけがしている労働者に必要もなく強制することはパワハラに該当しうると思います」という発言もあるために、パンプスの積極的な容認ではないという解釈もあるらしい。たしかに積極的ではない。しかしこの答弁を読んで、「事実上の容認ではない」と主張するのはかなり不思議。

*4:冒頭で、「男子受験者の方が女子よりほんの少し合格率が高い(比率は1.03)」という状態を問題視しているが、年代によっては1を下回ることも多いようで、数値の見せ方に恣意性を感じた。ただ、その他は祝辞として素晴らしい内容ではなかろうか。

*5:世紀の変わり目くらいまでは、あらゆる著作で「選択的夫婦別姓=進歩的で男女平等だという考えは短絡的」と主張しているが、彼女の仕事がケアの方へ行ってからのことはよくわからない。ここ十年くらいは学術会議の一員として選択的別姓を認める活動もしていて、はっきりした転向があるのかもしれない。

*6:https://ja.wikipedia.org/wiki/民事連帯契約

*7:https://twitter.com/masayachiba/status/1054398091770585095

*8:https://twitter.com/masayachiba/status/1024295118675763200

*9:https://twitter.com/masayachiba/status/1024690669581824000

*10:これを読んで「じゃあ選挙出れば」と思う人は、国語力がやばい自覚を持ってください。この記事では、民主主義や選挙が全てではないという話をずっとしています。クソリプ避雷針の註。

*11:とはいえ、男だって四十で未婚だと「どこか問題ある人なんだろう」と思われるのが現状なので、男女ともに降りるべき幻想ではある。

*12:前世紀的!!ジェーン・スコットやバトラーを読んでくださいと言いたいがこういうことを言う人はたぶん読めないので、まずバトラーの解説書を開いてみて、それも難しかったら現代思想の入門書から頑張ってみてください。

*13:その体の構造っていうのがね…(ひとつ前の注にもどる)。「全てを平等に」はこの記事で藁人形気味に批判しているリベラル・フェミニズムの考え方なので限定的。現在の社会的な不平等が解消されるまでは、差異を認めることが差別の正当化につながってしまう、という生存戦略もある。別に何もかもが社会的な構築物だと言いたいわけでもないのだが…。サイバーフェミニズムやポストヒューマンのフェミニズムでも読んでみてください。

*14:これはフェミニズムというよりは、フェミニズムが前提にしているフーコーの仕事