筋トレをして鬱になった話と、筋トレは虚しいという話
・筋トレをして鬱になった話
わざわざこんな記事を書く気になったきっかけはこれ。
やっぱそうや!筋トレすればいいんですよ!筋トレすればドーパミンもエンドルフィンもノルアドレナリンも出ますし、「幸せホルモン」セロトニンと、テストステロンで精神的にも肉体的にも充実します!薬物なんて絶対に必要ありません!筋トレしましょう!
— 西川貴教 (@TMR15) March 13, 2019
常識的に考えれば、薬物やアルコールなどアディクトの影響下にある人について、「筋トレすれば大丈夫」と冗談めかして言うことは無理解で無神経だと思うが、圧倒的に支持されているようなのでモヤモヤした。精神的に悩んでいる、という人に、「ジム行きなよ」と返す、あの何もわかっていない人たちと同じ精神性を感じる。
だいたい、覚せい剤で大変だった頃の清原なんて筋肉隆々なのに悲壮感がすごかったし、イニエスタでもうつ病になるし、なぜ筋トレすれば解決するという言説が喜ばれるのかよく分からないが、バーの明るいオカマのようなイメージで、健全なキャラクター像をマッチョに投影するエキゾチズムがあるのだろう。
自分は筋トレに成功し、体重を大きく増やした時期にうつ病を発症した。仕事や人間関係の悩みが原因である(普通)。病気を前にすると、筋トレはもちろん、健康に気を使った生活や、もともとの明るさもほとんど無意味なのだと感じたので、薬物のアディクトに対してすら、「筋トレすれば大丈夫」がもてはやされる風潮は有害ではないかと思う。
・筋トレは虚しいという話
自分がなぜ筋トレ話をし始めたのか、という話をする。もともと痩せ気味の体型を気にしており、筋肉をつけたい、健康的な体型になりたい、と思っていたところに、昨今の筋トレブームとマーベル映画が重なった。キャプテン・アメリカを観ながら、「クリスエヴァンスまじかっこいいな…ためしに筋トレというやつをやってみるか…」と思い至ったのが去年の春ごろ。その後何をしていたかというと、筋トレに並行してターザンを1冊買い、信頼できそうなサイト*1 やYoutuberなんかを暇なときにチェックする。そして、
「筋肉痛があるときでもトレーニングしていいの?」
「空腹時のトレーニングで筋肉が分解されるって本当?」
「ボディビルダーって減量期に有酸素運動やるの?」
などの初学者あるある的質問を思いつくたびにつぶしていく、という習慣を1、2ヶ月続けると、普通にやるぶんには充分な筋トレの常識が身についた。ファッション誌を3月連続で買うと、基本的なファッションや髪型の文法がわかって、4冊目からは表層的なチェックだけでよくなるみたいな感じ。
適切な量のトレーニング、食事、プロテイン摂取を続けた結果、体脂肪率は微減、半年で体重は7キロ増えた。同じ体重のボクサーを画像検索すると、ぱっと見るかぎりでは同じような体型をしていた。筋肥大の成果としては満足いくものだったといえる。
筋トレをやってよかったのは、
- カロリーやタンパク質、ミネラル等の計算を通して、摂取する栄養に自覚的になれたこと
- 今まで増えも減りもしなかった体重を変化させる術がわかったこと
このふたつに関しては、本当にやってみてよかったと感じている。25歳で初めて、健康を意識し、自分の体の変化に敏感な生活を送ることができた。
しかし、これは最初の1、2ヶ月でいったん身につければ、以後は筋トレを続ける動機になりえないものだった。前提として、筋トレは続けなければ効果がなく、何もしなければ筋肉はどんどん落ちていくものだ。
では、なぜ飽きっぽい自分に筋トレが続けられたのか?と考えてみると、筋トレのギミックに答えがある。筋トレはやればやるほどいいというものではなく、2、3日間の休養期間を挟んで行うのが効果的であるとされる。つまり、
筋トレをする→2、3日経つ→筋トレをする
というサイクルの繰り返しである。休養後、筋トレに適したタイミングは超回復期と呼ばれ、超回復期にトレーニングをすることで筋肉がついていく。しかし、逆にいえば、その時期を逃すと効果が大きく薄れてしまうのだ。
このギミックは、いま思えばソシャゲの報酬システムにそっくりだった。スタミナ溜まったからやろう、今日のクエスト来たから消化しよう、と同じ動機付け。あるいはログインボーナス。しかもソシャゲの報酬と同じで、現実に全く還元がなく、閉じた世界のものだった。
最初は体型が変わること自体に驚きや発見があり、自身の健康を見直すきっかけにもなった。しかし、変化を楽しむ段階、健康についての学びが大きい段階を過ぎると、きつい筋トレに対してのリターンは”筋肉だけ”になった。こう書くと当たり前のようだが、ふつう筋トレする人の多くは、筋肉そのものではなく、健康とかモテとかスポーツの結果とか、二次的な何かが目標で、べつにボディビルダーになりたいわけではないことを思い出してほしい。少なくとも自分の場合は、筋肉そのもののためにどれだけ頑張れるか?という問いに直面してやらなくなった。
筋肉をつけたところで、恋人も友達も褒めてはくれない(「なんか最近やってんなー」と思われるだけだ)し、健康の面でも、途中からは自己満足の世界に入る。このへんは、成果を見定めてくれるトレーナーの存在や、筋肉そのものではない二次的な目標(結婚式までに痩せる、◯◯山に登頂する、等々)があるかどうかで変わってくるのかもしれない。ただ、特にそのような目標のない人の筋トレは自己満足でしかなく、トレーニングが好きな人、修行が好きな人のためのものになりがちだと指摘しておきたい。
・まとめ
簡潔にまとめると、言いたかったのはこの2点。
- 「筋トレは精神的な問題に対する万能薬である」とする言説は根拠がなく、精神的な問題を抱える人にとっては抑圧的なものとなりうる。
- 体験談として、筋トレによって食生活や運動習慣の見直しなどポジティブな効果も得られたが、途中からはソシャゲ的な報酬の自己修練になり、モチベーションが維持しづらかった。
最後に、少しまえ話題になった羽田圭介氏のインタビューを貼っておく。引用箇所は全文同意。
――でも巷では、自己啓発系の筋トレ本やNHK『筋肉体操』などを通じて「筋肉は誰にも奪われない」「筋肉は裏切らない」といったフレーズが話題になったりもしています。
羽田 何もしなくても筋肉がつく人はそうでしょうけど、日本人の体質的には、筋トレは時間が奪われるものですよね。筋肉を維持するために、すごくいろんなものを犠牲にすることになる。食事とか時間とか集中力とか。やめたらすぐヒョロヒョロになっちゃう人は、もっとほかのものにエネルギーを割いたほうがいいんじゃないかな、と思います。それを本当に生きがいにしている人を否定はしないですけど、無理して中途半端に真似ようとするのはやめたほうがいい。「筋トレでメンタルが変わる」っていうのは順番が逆で、地味で苦しいことを続けられる人が筋トレをやっているだけです。
*1:https://www.rehabilimemo.com 非常に有用な情報源だと思います。ご存知なかった方にはおすすめです。