やれたかも委員会の感想と雑記

※書き手は男です

 

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仲のいい女友達に、南国のリゾートでお酒飲んでパーティー行ってサーフィンして…という派手な遊びの好きな子がいる。その子は何度か同じリゾート地で遊んでいたのだが、通ううちに、数ヶ月前に寝た男の子とクラブで鉢合わせたらしい。そのときのことを彼女は「相手がノーチャンスだって分かるまでが遅すぎてイライラした」と話し、聞いている自分は一瞬困惑した。なぜかというと、数ヶ月前とそのときを比べて、その子の交際ステータスも、相手の男に対する評価も、体調も、何ひとつ変わったところがないからだ。再会して数時間、言い寄ってくる彼を拒否し続け(それでも彼のことは好きらしい)、1人でホテルに戻った彼女は、友達に電話をかけた。そしてその電話を自分がとったために、たまたま彼女の苛立ちを知ることになった。

話を聞きながら、大抵のばあい男は、「面白さ」や「格好良さ」なんかの美点を評価された結果、寝たり寝なかったりするものだと思っているけど、そういう風にステータスを固定させて考えること自体がズレているんだなと思った。まず、その子が電話で話したように、「そういう気分じゃなくなった」からそれまで、という事案がある、その裏側で、男の方は「今日は俺なんかまずいこと言ったかも…」とモヤモヤ考え続ける、という図が世の中には無数に転がっていて、ホテルから電話で伝わったこの話に教訓を見い出すとすれば、そのモヤモヤは不毛であること、そしてもちろん、女の方のステータスも同等に考えようね、というところだろうか。
リリーアレンが2ndアルバムのタイトル『It's Not Me, It's You』について語っていたインタビューを思い出す。男が別れ話のたびに言う「君のせいじゃないよ、全部俺のせいなんだ」がムカつくからひっくり返してみた、というのがリリーアレンの言である。読んだ高校生当時はピンと来なかった話だが、今となっては分かるところがある…*1

なんにしても、一度寝た女の子に断られるというのはかなり恥ずかしい上に情緒ある(?)事件なので、男の方では尾を引いて覚えているだろうな…そういう、どう転んでもダサい役回りはできるだけ演じたくないな、まあダサい役回りだという意識を持ちえないのが当事者性だから…などとぼんやり考えるうちに『やれたかも委員会』のことを思い出して、今この日記を書いている。

 

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やれたかも委員会 1巻

やれたかも委員会 1巻

 

 

『やれたかも委員会』は、cakesやnoteなどで連載中の、吉田貴司氏による漫画である。「やれたかもしれない思い出」を抱えた男たち*2が現れ、審査員の前でその思い出を語る、そして、本当にやれたのかどうかを審査員たちがジャッジする、という構成を取っている。


この作品の魅力を伝えたいのだが、そのために、いったん迂回してスポーツの話から始めたい。
野球でも陸上でも、スポーツの一番重要な戦いは一発勝負になることが多い。ペナントレースで圧勝しても、ポストシーズンの大一番を落とせばそれまでだし、100メートル走なら、今シーズン一番いいタイムを出した人に金メダルをあげます、とはもちろんならずに、スタートや風向きなど、不確定要素の多い一回の施行で全てを決めてしまう。番狂わせの起きそうな要素を除くために、例えばもしサッカーで、支配率に応じて0.1点刻みで加点、枠内にシュートを打てば0.2点、などの仕組みにすれば、実力がはっきり現れる公平なルールになるが、ゲームとしての面白さはかなり失われるだろう。
要するに、観ている側としては「実力は発揮されるべきだが、勝負事はランダムな要素を含んでいてほしい」と思っているわけだ。

 

『やれたかも委員会』が面白いのは、男女の関係の中で、こういうランダムな要素に読み手の関心を収束させるところで、恋愛のドタバタにうまいことスポーツ観戦のスリルを織り込んでいる。漫画の世界に限らず、デートの末に意中の女の子と寝ることを、「ゴール」「優勝」などと形容するのは、ゆえなきことではないはずだ。

あの夜はなぜうまく行かなかったのだろうか?何かまずいことを言ってしまったのか?『やれたかも委員会』は、答え合わせの機会を失った男たちに、とりあえずはジャッジをつけてくれる。
ちなみにもし、この物語が女性視点だったならば、ある時やれた男は望めば今もやれる男で、やれなかった男は今もやれない男、というパターンが多くなりがちで、ある意味ではスリルの欠けたものになるのではないかと思う。

 

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冒頭の女友達の話に戻ると、彼女はクラブで懐かしい顔と出会ったその日、不意の再会にときめいて彼とお酒を飲んでいた。けれども、しばらくして気持ちが落ち着くと、反動的に帰国後の資格試験が頭を占めて、ホテルで参考書でもおさらいして寝ようかしら、という気持ちになったらしい。

資格試験の勉強!!相手の男がこの答え合わせを知ったら絶句するだろうな、という気持ちが湧き上がって、電話しながら笑ってしまった。物事を反対から見てみると、男の方で状況を左右するどころか、察することすら厳しい案件である。

似たような状況で、近場のホテルを検索するが低速でなかなか結果が出ない、ちょっとお金下ろすわとコンビニに寄って相手を待たせる、などのモタついた時間で女の子が我に帰って、めんどくさいし帰ろうかな、なんて気持ちになる場面は容易に想像がつくが、「女は押しに弱い」という警句は、こういう現象の裏返しを意味するのではないだろうか。興が乗るときもあれば醒めるときもあり、片方の頑張りでは操縦しようもない興に振り回されてしまうのだ。

 

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興味深いと思うのは、やれたかもしれない後悔について考えるとき、男はまず「(俺の)何がいけなかったのだろう」というモノローグに終始してしまうところで、「相手にどんな事情があったのだろう」という発想に至る回路が弱い*3
私見だけども、「女好き」と「女嫌いのセックス好き」が、同列に女好きという言葉でまとめられがちなのは大変な事態だ、と日頃から感じていて、この二者の差は、今挙げたように、主体性を相手に認められるかどうかにかかっている。そして、ちゃんとした「女好き」は、その多くが女性作家の作品に登場する人物だ。
これは、主体として自分勝手に振る舞うか、客体として相手の要望を汲み取るか、という、ちょっと安易な対立でもあるのだが、この対立を読み解く例として、川上弘美の『ニシノユキヒコの恋と冒険』(おもに映画の方)が面白い。ハンサムで相手の気持ちによく気づくニシノユキヒコは大変モテるものの、最後の最後で女性にフラれてしまう。いろいろな仕掛けがあって楽しい作品なのだが、作中で扱っている大きなテーマを約言してしまうと、主体性が弱い男の魅力と、その決定的な魅力の無さ、だと言える。

ただ主体として振る舞うだけでは駄目、しかし客体としてうまく相手に対応するだけの男に、人は夢中になれないのだ。まとめると、いわゆる男女の駆け引きにおいては、ある中間地点にセクシーさがある。平均して男は片方に寄りすぎているためにモテないが、理念的にもう片方の極点を描いてみると、そのセクシーすぎる男は、どうにも最後の1ピースが欠けているーーということだ。

 

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途中から『やれたかも委員会』とは別の話が続いてしまったけれども、元々はかの漫画が、答え合わせの機会を失って男の中で回り続ける疑問に焦点を当てていたからこそいろいろと思い出した話なので、一応感想として書きました。つい昨日決まった実写化に伴って、現在8話までを無料公開(!)しているので、気が向いた方は読んでみてください。

 

 

 

 

 

 

*1:「女心が分からない」という男のぼやきが、単に相手のステータスを認知できないところから来てるとしたら怖いなとふと思った。

*2:女性のパターンも例外的にある

*3:これは男のホモフォビア・性的客体への転落する恐怖、みたいな文脈だけど、性別に関係なく、人生経験を積むことで後者に傾いていくものでもあると思う。