とりとめのない日記・雑記(2)

有楽町で中学の同級生と飲んだ帰り、書店を探してあの辺りをふらふらと歩いていた。Googleによると、付近で21時以降も営業しているのは銀座の蔦屋書店だけとのことで、千代田区と中央区の境目はこの辺か?などと考えながら、まだまだ活気のある夜の街を通り抜けて銀座シックスへと向かった。

数分後、銀座シックスへ着いたはいいが、代官山のように路面店でない銀座店は視認できず、ビル全体は消灯済で真っ暗、特に目印もなく、この巨大な直方体のどこから中に入ればいいのかと困惑していた。うろうろ歩き回って見つけたエレベーターの中にすら蔦屋の文字はなく、6F Booksと小さく書かれているだけだった(たしか)。それでも、エレベーターの扉が開くときらびやかな店内が広がっているから不思議な感覚に包まれる。

 

ドトール(コーヒー220円)で作業するということは、ボロ着で体臭のきつい謎のジジイや、隣でぶつぶつとクロスワードパズルを始める謎のジジイに遭遇するリスクを冒すということで、そういう謎のジジイに降参したときは、上島珈琲(コーヒー400円)や純喫茶に移動するのだが、銀座の一等地に立つこの書店は、高貴な喫茶店よろしく広告やデザインの工夫で密かなゾーニングを施して、「謎のジジイ的な何か」を排しているのかも…それとも昼は普通に入れるのかも…などと酔った頭で考えながら、目当ての本を探して棚を見て回った。ブックオフみたいに、椅子で眠り込んでいる人や、閉店まで立ち読みをしている人は見当たらなかった。

 

目的地に辿り着いて機嫌をよくしたので、さっきまで一緒にいたやつと共通の友人に電話をかけた。もしもし、今まで岸田と飲んでたよ、元気してる?の挨拶もそこそこに、今自分の居る本屋がいかに外から分かりづらい場所にあったかを説明した。電話口の女の子は、その話を、
「ああ、偶然入れない場所ってことか」
と要約した。その時不意に、今までの自分の人生で、偶然には辿り着けなかった場所や知りえなかった人、それとは反対に、偶然にしか知り合えなかった人たちのことが頭をよぎった。今電話口にいるこの子も、さっきまで一緒にいたあいつも、中学や高校というあの時分を過ぎれば、二度と交わらない人生だったろうと思った。

 

レジで会計を終えた。突然だったのにありがとう、おやすみなさいと電話を切った。切った途端、自分こそが酔って電話しながら歩く謎のジジイだったことを自覚して笑った。そして、エレベーターの前で待ちながら、この扉の向こうには、今まで自分が通り抜けてきた扉が全部、ずらっと一列に並んでいる…という荒唐無稽な想像にとらわれていた。その中には「偶然には通れなかった扉」「偶然にしか通れなかった扉」がどちらもたくさんあるはずだった。清濁併せ飲むとは、このふたつの扉を往き来することだと謎の合点をした。行きと同じようにひとりでエレベーターを通過した。これで帰りに残された扉は東京メトロと自宅だけになった。

 

帰路の半蔵門線で、自分はなぜ「成人式行かなかった」と高く掲げるみたいにtwitterで言う人種が嫌いなんだろ、地方に生まれた文化オタクの特徴ってなんだろ、などとぼんやり考えた。地方に生まれるのはいろんな意味で非効率だけど、何年かかけて、効率の観点からは取り戻せない何かを負うのも悪くない、と思うようになった。この手の葛藤は、当人にとって結論が決まっているので、何年かかるかの話でしかない。そのあとは地元のことが頭に浮かんだ。土建屋の息子だったのが、父親の死をきっかけに会社を売り払い、今はイスラエルでフリーターをしているという、変てこな経歴を持つ小学生以来の親友を思い出した。SNSを活発にやるわけではない、音楽や映画の趣味が合うわけでもない。家が歩いて5分のところになかったら、そいつとはすれ違う機会すらなかったし、イスラエルレバノンの奇妙な入国審査や、イスラム教徒とユダヤ教徒が恋する現場のことを知ることもなかった。

 

地元を離れた結果、先週トリアーの映画観たんだけどさ、宮本輝の選評やばいんだけどさ、などと(その時々で興味のある映画や本のことを)話し始めても、あっさりそれを受け入れてくれる人たちとばかり遊ぶようになった。気楽になった部分は大きいけど、時折、自分がもう今いる場所にしかフィットしないんじゃないか、二度と戻れないほど偏った人間になってしまったんじゃないか、という不安に襲われる。就職や結婚が関わってくると特に、「わかる人だけわかってくれればいい」というスタンスが通じなくなり、会社の人や自分の母親は「わかってくれる人」ではないという当たり前のところを無視できなくなる。自分の選んだものだけでも、選べなかったものだけでもやっていられないから、自分で自分の人生に補助線を引く。それは結局、背後に延々と続く扉を振り返るということであって、「久しぶり、元気してる?」と誰かにメッセージを送るとき、人は自分がかつて選べなかった何かを選び直しているのではないかと思った。