昔を語るということと、20センチュリーウーマンの感想

 

  休みの日に保坂和志のエッセイを読んでいたら、ギリシア悲劇エウリピデスの話が出てきた。話題に上るのは『トロイアの女』なのだが、面白いのは、ギリシア軍に破壊し尽くされたトロイアの街で、トロイアの女王ヘカベがこんな台詞を吐くところだ。

 

「しかしまた、神様が、これほどまで根こそぎに、トロイアを滅ぼされることがなかったら、わたしらは名も知られず、後の世の人に歌いつがれることもなかったであろうし……。」

 

これは時制の上で突出した印象を与える。崩壊したトロイアにあって、その悲劇が語り継がれた未来から話をしているからだ。『トロイアの女』を観ていた客が、あるいは脚本の読み手が、それまで物語に没入していたとしたら、この発言につき当たって誰しもこう思うはずだーーーー未来からの視点で語るお前は、いったい何者なんだ、と。

 

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かなり遠いところから話を始めてしまったけど、この日記で話題にしたいのは一本の映画である。『 20センチュリーウーマン(原題:20th Century Women)*1』は、1979年のサンタバーバラ*2が舞台の映画だ。中学生の主人公が、母親や女友達、同じアパートに住む住人たちとの関わりを通じて成長する様子が描かれる。

観ていて面白いと同時に不可解だったのは、「1979年ーー時代はパンク全盛だった」という風なナレーションとともに映し出されるのが、主人公が向かったライブハウスではなく、数秒ごとに切り替わる当時の写真だったこと。困惑しながら、「ちゃんとライブの映像を撮れよ…さぼるなよ…」と思っていたけど、観終わってしばらく経った今だと、あれは歴史に対してある意味で誠実な距離の取り方だったのではないかという気がしてきた。この映画には、渦中の人間を撮りながらも、常にそれをどこかへ位置付けるような視点がある。

 

映画で一番大きく描かれる人間関係は母親との関わりだが、その親子関係にしても、映画の終わりごろに現れる決定的な会話、

「父さんと愛し合ってた?」

 

「うーん、と言うよりは、『愛し合うべきだ』と思ってた。誰かと愛し合うことがないまま一生を終えるのが怖くて、そのとき最善の選択をしたの」

が挿入され、主人公は「今までと違って、これから母さんは自分に本心を話してくれるようになるだろう」という予感を得る。だがそれに続いて、その予感は裏切られた、というナレーションが入る。

ヒロイン(エルファニング)についても同じだ。主人公の幼なじみは、セックスするでもないのに毎晩主人公の部屋に忍び込む。家族ぐるみの付き合いがあり、主人公にとってはずっと昔から最愛の、だが振り向いてはくれない女の子である。スクリーンの中では最重要人物の彼女だが、最後の最後に入るナレーションで、大学進学を機に主人公一家とは疎遠になってしまい、のちに夫とフランスに住んだという未来が語られる。

つまり、この映画の中で、時代を語る場面を担うのは写真であり、物語に決定的な線引きを与えるのは「未来からのナレーション」なのだ。

 

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パンクのムーブメントも、自分にとっての運命の相手も、母と分かり合えたというたしかな手応えも、スクリーンに映し出される限りでは画面の中の事件が全てだけれど、それは実のところ何本もの人生が重なったある一点をぎゅっと拡大したもので、ズームを解けばそれぞれの線は全く別の行き先へ伸びていく。おそらく誰もが経験するように、これが全てだと思えた確かなものは、例外的な時代の例外的な場所で、掠めただけの関係だ。

時代とともに生きる、時代を語る、という行為にはうまく言い難いところがたくさんある。バブルを共に経験した両親と話していても、「どれだけお金を使ってもなくならなかった、タクシーだけで月20万使っていた」と話す父と、「そんなことは全くなかった、今と一緒」と話す公務員の母では、ほぼ同じ場所で同じ空気を吸っていた2人とは思えないくらいの乖離がある。時代の空気というのは、確かにそこにあった気がするのに、2人以上に語らせれば真相は藪の中になってしまうような在り方をしていたり、事後的に生成する可能性や幻想だったりで、そのどれもが簡単には否定できない断片だ。

トロイアの女王や、『20センチュリーウーマン』に登場する人物たちと違って、ふつう人間というものは、自分の身を取り巻いて今まさに起こりつつあることについて、いったい何が決定的なのか、判断がつかないようにできている。だから裁定をつけるのはいつも何かが起こったそのあとで、それはまさしく未来からのナレーションになる。大抵の人は、小銭が落ちていないか気にするように、未来の自分が助言してくれないかと思っているけど、人間がナレーションの聞き手になれないのはもちろん、私たちは必ず、過去へとナレーションを送る側に立っている。そしてそのことは、ぞっとするほどに考えないまま生きている。

そして、とても大事なことだが、『20センチュリーウーマン』はマイク・ミルズの「自伝的」映画である。

 

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この映画にはパンクもあれば、カーターの演説も、20世紀初頭からの女性の社会進出もある。それと重なり合う形で、アートクソ野郎と呼ばれること、愛し合うの難しさや、女の子との逃避行、子供を持つことの恐怖も描かれる。そういう大文字の歴史と個人史を二重うつしにした状態で、ズームのつまみを回し、ピントをずらすーーーこの映画は、急に視界がぼやけていくあの瞬間の、酩酊や悲哀をつかまえようとしている。

 

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映画のアイコンになっているのは、トレーラーで流れていて、作中でも最高な使われ方をするこの曲。優しくてリラックスしているけど、ほんの少し不安なフィーリング。笑いながらはにかんでいるような不確かな感覚。こういう繊細な感情を淡い映像に重ねてくれただけで、観ている間は幸福だった。海岸線から町、球場や学校へと移ってゆく歌詞は、この映画の脚本とも空撮とも呼応している。

YouTube

 

 

*1:打つ段になって、ようやくwomenが複数形なことに気づいた。この映画は一人の女の生涯を映すが、同時にその時代の女たちの話でもある

*2:西海岸、LAのちょっと北西

日記・雑記 カメラを向けられたときのぎこちなさについて

 

6月〜7月上旬の、とりとめもない日記・雑記です。

 

‪<カメラを向けられる>

訓練されていない人間に、いざ撮影、とカメラを向けると、動きがぎこちなくなる、ただ歩くだけで不自然に見えてしまう、という図は簡単に想像がつく。今日、「そういう時は何かものを持たせて撮ればいいんだよ」という話を聞いて、視界がぱっと開かれたような気持ちになった。

いざカメラを向けられて歩くとき、人は普段自然に行なっていた動作を意識化して、足の角度や力の入れ具合など、思いつく限りの各項目で適切な動作を出力しようとする。そして、その行為の煩雑さがキャパを超えたり、項目が網羅できない部分が多かったりで不自然に写ってしまう。何かを手に持つと、網羅すべき項目が減って、たぶん少しは歩きやすくなるんだろうな。

自分の体験に照らせば、数年前、友人の撮影に付き合ってカメラを向けられたことがあるが、できあがった映像で歩く自分は、まあ驚くほど気味が悪かった。それにはもちろん自身を見る気持ち悪さも含まれるけど、そこに写っていたのは、歩いたりスマホを取り出したりの動作全てが不自然で、いかにもぎこちない、立つ瀬のない人間だった。

だがここで言い訳したいのは、画面の中で歩いていた自分はたしかに「手ぶら」だったということだ。

 ネクタイ結びからブラインドタッチまで、体で覚えている類の記憶は「非宣言的記憶」と呼ばれ、言葉で手順を再現しようにも、何かが抜けたり順序が前後してかえって伝わりにくいようにできている。こういう静的/動的なプロセス(ROMとRAMっぽい)はAIに転写するときどうなるのかとか、記憶宣言的(静的)/非宣言的(動的)という枠組みで人の動作を捉えると、役者は何の訓練をしているのか*1、などと考え出すと興味は尽きないが、記憶と演技の関係、みたいな演劇論は無限にありそうだし、これ以上書くといかにも平田オリザを読みかじった人の演劇話になりそうで恥ずかしい*2のでこの辺で…。

 

そういえば、先週くらいの『ハイキュー!!』で、主人公チームの控え選手がサーブに立つ、緊張を抑えるため、いつものルーティンをこなそうとするが、練習のとき見えていた非常口の緑の灯りが隠れて見えない、その途端、今まで耳に入らなかった声援や場内アナウンスをはっきり意識してしまい、集中が途切れる、というシーンが描かれていて、この漫画はこういうとこが面白いんだよな〜、流石だな〜と思った。これもスポーツではよくある、非宣言的な技能にふせんを貼る作業だ。

 

 

 <  人生〜 >

⑴「トレインスポッティング評で、レントンの倫理観にダメ出ししたやつがあったよ」と友達から夜中にLINEがきて笑った。トレスポ観たあとで倫理の話すること自体が面白いけど、聞くと、主人公レントンが友人カップルのハメ撮りを勝手に拝借した件だったのでまた笑った。ことの結末から因果でたどっていくと、友人のサムが脳炎で死んだきっかけはレントンの盗みにある、という話だけど、当初の意図を抜きにして、因果や可能性を使って大元を導きだすのはまあ不毛な行為だ。

 ⑵フランス映画でよく出てくる"C'est la vie!"というセリフ。直訳は「人生だ」だけど、例えばトリュフォーの映画では、ナンパ師が女の子に声をかける、

 

「でもこれから予定があるのよ」

「そうか、それは残念」

「C'est la vie」

 

と続いたりして、なんとなくのニュアンスは伝わる。「まあ仕方ないよね」「人生そんなもん」みたいな含みだろうか。これは英語なら、たぶんヴォネガット(や、それを流用する村上春樹)の「そういうものだ」に似ていて、日本語ならきっと、関西弁の「しゃーない」に近い。*3だからトレスポでサムが死んじゃったのはかわいそうだけど、まさしくC'est la vie(セラヴィ〜)って感じ。

自分の話のように書いたけど、フランス映画によく出てくるセラヴィがね……という話は恋人が話していて素敵だなと思ったもので、私はトリュフォーの映画を観たことがない。

 

 <外国人の友達>

最近韓国人の友人ができた。私にとって身近な韓国との接点であるDEANやhyukohは何を言っていて、どんな風に聴かれているかとか、「先輩後輩の関係が強固だから、相手の年齢を確認しないと話し方が定まらないって本当?」みたいな文化あるあるを確かめてみたいとか、いろいろ話したいことはあったのだが、彼女は話がそういう韓国文化の方面へ傾くと、少し戸惑った風に「え、なになに、これって文化交流の場?」と言うので、胸をトンと衝かれたような感覚になった。

 

日本で外国人の友達というと、その国代表みたいに扱われがちで、出会い頭に形式的な国際交流が始まるのは想像に難くないけど、日本で暮らす韓国人という立場なら、そういうのは何十回も通過していて「またこれか」という感じが頭をよぎるんだろうなと思った。彼女が、意識高いテンプレのような同僚に対して、「留学経験あるからって私と仲良くできると思うなよ!」と毒づいていたのはとても良かった。しばらく話をしたあとで、「でもあなたは儀礼的に国のことを聞いてるんじゃなくて、まっとうに韓国に興味があるって分かるから、質問されるのは嫌じゃないよ」と言ってくれて、だいぶ気持ちが楽になった(とはいえ、やはり根掘り葉掘り聞きたいとも、聞くのが許されたとも思わなかった)。

他人のことを、「自分が何か言うと跳ね返ってくる反響板」くらいにしか捉えていない人はたくさんいて、自分はそうならないよう心がけていたつもりだったけど、「外国人」というベタなファクターが差し込まれて未知の部分が増えるだけで、自分も簡単に無礼な人間になりうるのだと思った。気をつけよう。

 

(余談だけど、その韓国の友人とは関係なく、最近は韓国文化全般や、韓国社会とジェンダーの関わりについての本を図書館で借りて読んだりしていて、何気ないエピソードひとつが興味を惹くものだったりする。

例えば、韓国では出産を終えてすぐワカメのスープを飲む(受験受かった時なんかも、人生のあらゆる節目で飲む)風習があるのだが、ベッドでスープを飲む母は、自身の出生のことや、自分の母のことを思い出すだろう、国の風習レベルでそういう補助線が認定されていて、価値観の再生産がごく自然に行われるのはよくできていて面白いし、それは当然儒教と関わりがある、また、時期がら周りの新入社員を見ていて、エリートたちが休日返上で出し物の稽古をして劇を披露するような風習は極東アジアにしかないだろうな、などと、いろいろなことをまとまりもなく考えていたので、私は相手を混乱させないような聞き方で、韓国を知る人に質問してみたいと思っていたのだ。

ちなみに彼女に、「日本でいう新入社員の劇みたいな風習ある?」と聞いたら、韓国の大企業、LGやサムスンでは会社ごとにダンスが決まっていて、新入社員はそのダンスを覚える、下らない伝統だと思いつつも、大企業に入ること自体が難関なので、みんなその立場に優越感も感じているはず、という話をしてくれた。)

 

<異文化交流>

 異文化交流といえば、先月観た冨田克也監督の『バンコクナイツ』を思い出す。面白いところもたくさんあるのだが、映画全体としてはあまりにダメな破綻が多すぎて楽しめなかった。

バンコクナイツ』には作中ではっきり伝えたいことがある。その問題意識は面白いけど、その要約があれば満足というか、作品の方は単に問題意識のネガでしかないと感じてしまう。だから監督の冨田克也は自分にとって、インタビューや書きものには興味があるけど、作品そのものにはそれほどの魅力を見出せないというタイプの作家だ。*4

いろいろな要素が絡むのだが、作中で一番興味深いテーマを約言すると、『片方がもう片方の顔を札束ではたく、それ以外のやり方で文化交流をするにはどうすれば良いか』である。映画の後半でタイの田舎、イサーン地方が出てくるが、撮影班は、現地の人たちにぽんとお金を渡して撮らせてくれと頼み、家にずかずか入る、といういかにも普通のドキュメンタリー的手順を踏まない。話を冒頭のトピックに繋ぐなら、そうして撮られた現地の人々はみな「手ぶら」で「ぎこちない」はずだ*5。『バンコクナイツ』のスタッフたちは、同じ地域で何週間も生活し、打ち解けてきたところで初めてカメラを向ける。こういう手法は掛け値無しに素晴らしいし、その打ち解けた空気を画面に捉えるという試みも実を結んでいると思う。

 

異文化交流という言葉に引っ張られて思い出しただけで、日本人と韓国人の友人関係は、タイの村落にカメラを入れるとか、落書きを美術館に所蔵するとか、そういう文化搾取になりうるものとはまた別で、基本的にもっと水平的なものだと思う。ただ、どんな交流も、沖縄問題のように力関係が働いている背景や、相手の言動をナショナリティや育ちに還元してしまう危険について意識的でありたいよね、という話です。こう書くと当たり前に聞こえるけど、気を付けていてもできない時がある。

最後にこの夏延々聴いてる韓国のアーティストの曲を貼っておきます。

DEAN - love ft. Syd - YouTube

 

 

love (feat. Syd)

love (feat. Syd)

  • DEAN
  • R&B/ソウル
  • ¥250

 


 

*1:濱口竜介感…

*2:人間の俳優は50回、100回と舞台を経るうちに洗練された無駄のない動きになるが、そのぶん新鮮味やリアルさは失われることを、ロボットに演劇をさせる研究で定式化したり、体操選手が難度の高い技を習得するとき、体の動き以外に、天井や床の見え方も含めて記憶するが、それが演劇の稽古でも起こるーー普段見えている小道具を隠すだけでセリフが出てこなくなる、等いろいろ面白いことを言っています。

*3:綿矢りさの『かわいそうだね?』が念頭にある

*4:自分にとってはtofubeatsも似たような存在だったりする

*5:濱口竜介感…②

牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件 感想

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1991年の台湾映画。観てからひと晩経ちはしたものの、いまだに「すごいものを見た」という感覚が自分の中で反響している。まとまらない状態のまま書いていく。

 

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この映画にはまず、中国(親)から分かれた台湾(子供)という図*1がある。そしてそれは台湾の内で反響する。「大人になれば分かるさ」というセリフが、子供たちの頭を幾度も撫でつけることで多重化されるのだ。

加えて、舞台となった1961年の台北といえば、中台戦争のただ中にあり、当の大人たち自身も、自らの力では制御できない外部と圧迫を感じている時分である。彼らの抑圧的な態度は本作に終始不穏なトーンを差し込むが、それは解消不能な不安や、自身の疑念から目をそらそうとする身振りに他ならない。「漢字はアルファベットより書く手間を省けると言いますが、”我”はどうです?」と教師の矛盾を指摘した生徒が、晒し者にされるシーンは象徴的である。

今まで擦り切れたレコードのように繰り返されてきた言葉──「大人になれば分かるさ」は、この映画においても、大人たちが分からなかったことを神秘化し、次世代にリレーする語彙として現れる。

 

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不安な大人たちをよそに画面を彩るのは、分かったふりのできない少年たちだ。縄張りに侵入したよそ者をリンチするところから、賭博場やクラブのシノギ、敵陣への討ち入りまで、節々でどぎつい暴力をやってのけるものの、彼らはせいぜい10代半ばから後半であり、現代の日本人から見ると、現実感や、自他の生命に対するリアリティをあまりに欠いている(ものの言いようで、これは全く反対かもしれないが)と感じる。白か黒か。緩衝材になるような対話がないために、事態はどんどん先鋭化し、互いに死人が出るまでに発展する。戦意高揚のため、敵の内面を空白のままにしておくのは定石だが、作中ではそのような意図の介在する以前に、空白を以って敵は敵となる。
血なまぐさい描写は多いが、画の綺麗さ、街並みの魅力や、当時の台北の暮らしに宿る息づかいはこの映画の大きな美点であり、ひとつの時代を描く物語として、でたらめな強度(ベタな修辞、、)を持っている。

 

 

そして何よりも女たち。この映画において、お互いを兄弟と呼び合い、「俺たち男の友情は女には分からない」「女のこと(些細なこと)で男が争うなんて馬鹿馬鹿しい、これだから女は──」と断じる男たちは、簡単に「女」を理解不能なものとして域外へ追い出してしまう。ここで女たちが等しく(一様に、多様さがないまま)放逐されるのが、ディテールのない真っ暗闇な外部である。まるで、誰かの笑い声とボールだけが転がってくる闇夜のような……。だからこそ女たちはその鈍い抑圧に目ざとく反応し、男たちの安易な誘いをはねのける。そこに主体同士の関係がないからだ。ヒロインである小明の言葉を借りればこうなる。


「変えられない──私もこの社会も同じよ」

他人が自分の感覚の上を走り抜けていくだけの像であるならば、主人公・張震の愛情があんな形をとってしまったことにも少しは合点がいく。張震は、相手を自分の望む形に変えることでしか関係を築けないが、それは、彼の言い分に耳を傾けないまま処遇を決めてきた、あらゆる抑圧の再生産なのだ。

1961年。台北しか知らない主人公の世代と、中国本土から渡ってきた公務員の親世代にはそもそも深い溝が横たわる。国民党政府に連行された父の事情を張震が理解しているとは思えないし、彼にとっては、抗争のための刃物はリアルでも、道をゆく戦車はデートの背景でしかない。

身内を洗う政府、敵対するギャング、威圧的な大人たち*2。どれも有無を言わせぬ力とともに迫ってくるものの、抱えこんだ事情をなかなかこちらに明かしてはくれなかった。なぜ父親は連行され、なぜ解放されたのか。なぜハニーは殺されたのか。カメラを通した観客にはまだしも、当事者たちにとって、因果を支える根本にはぼんやりと霞が残ったままである。

この映画に現れるさまざまな齟齬は、噛み合わない両者が、互いにとって*3他者以前の外部で、細部を持ちえない遠い存在であったことに起因する。「牯嶺街少年殺人事件」は、いやでも齟齬が折り重なってしまう時代と場所で、軋みを立てながら暮らす市井の人々の記録である。

 

映画のラストシーンには救いがない。あまりに遠い存在であったエルヴィス・プレスリーから親密な返事が届くのに、その報せは獄中の張震に届かず、季節はひと回りし、冒頭と同じシーンが繰り返される。だが、抗争から逃れた不良は暇つぶしにトルストイを読むかもしれない、姉はキリスト教を説くかもしれない、もう1人の姉はアメリカへ留学するかもしれない。いや、遠くのもの、外国のもの*4である必要はないのだ──何より、恋した女の子によって、触れ得ぬ他者への触れ方を教わることができたかもしれない。

 

張震の持つ懐中電灯は、ほんとうは彼女を照らすための灯りだった。希望は静かにサインを送っていたのである。

*1:元々は台湾の国民党政府が本丸なので語弊はあるが、なんにせよ台湾島へ敗走したのは国民党の方である

*2:余談だが、Don't trust over 30的な風潮がどんなときに浮上するのか、台湾を通じて明確な見取り図をもらったような気がした。Don't trust over 30を唱えたキッズがやがて30を越えるというアイロニーの魅力がある。

*3:女にとって、のみが相互的でないのが図として面白い。

*4:外国のもの、を傍観者のように捉えていて、ここで他者として登場することに違和感を感じる人もいるかも知れないが、本文の文脈では他者と傍観者を区別することにあまり効果がない